Real World

● 現実世界・かつて言詞塔(バベル)が聳えていた都市 ●

◇「木綿の過去『孤児院にて』」◇
 闇が広がっている。暗く冷たい黒の書き割りだ。手を伸ばそうとしても腕は動かない。
 時は無情に流れ、闇は心の隙間に染み込んでいく。何もかもが希薄になり、生と死の境界線も曖昧になる。
 There is nobody(そこには誰もいない)、それだけが隣に在る。
 だが、そんな何も無い世界に流れ込んでくるものがある。
 歌だ。
 透き通るような女の声が、世界を満たしていく。

 Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ
 All's asleep, one sole light,/全てが澄み 安らかなる中
 Just the faithful and holy pair,/誠実なる二人の聖者が
 Lovely boy-child with curly hair,/巻き髪を頂く美しき男の子を見守る
 Sleep in heavenly peace/眠り給う ゆめ安く
 Sleep in heavenly peace/眠り給う ゆめ安く――

 小さな光が、世界に生まれ落ちた。
 光は一瞬でかさを増し、闇を剥がしていく。


 光が広がっている。明るく温かい白の情景だ。手を伸ばそうとして腕を動かす。
 正面に伸ばした左手が、白く柔らかな塊を掴んだ。
「起きていきなりウチの乳揉むとは、ええ度胸しとるなぁ木綿」
 言葉と共に、左手に熱と痛みが来た。
「痛ってぇ――――!」
 光に目が馴れると、自分の手を握り潰す誰かの手が写った。視覚を得たことで痛みが倍化。
「あ、姉貴!」
 目の前に、二つの白い山が横になって見える。それは大き過ぎず小さ過ぎず、程良い大きさを持った山だ。その山と山の間の向こうからこちらを見下ろすのは、二つの赤い太陽だ。
「“姉貴”? そんな他人行儀な呼び方する子、ウチは知らへんけど」
「――い、為子(いこ)さん」
 左手に圧力が追加された。
 二つの赤い太陽――彼女の瞳が弓を描く。
 白いワンピースに隠された胸が、小さく揺れた。
「余計他人行儀になっとるがな。ほら、昔からこーやってウチが膝枕して『清しこの夜』歌ったったら、いーっつもアンタが甘えた声で――」
「…………」
「まだ足りんか。それ」
 光に慣れていたはずの視界が、再び白く明滅する。
「あだだだだだだだだ!」
 痛みから逃れようと反射的に身体が跳ね上がるが、
「逃がさへんでー」
 空いた手で胸元を掴まれ押さえ込まれる。
 逃れるように首を振った先、見慣れた庭の木に立掛けられた二振りの木刀が見えた。
 ……思い出した。僕は稽古で顎に一撃貰って気を失っていたんだ。
 そして意識を取り戻すまでその犯人の膝で眠っていたのだ。
「なんや、いい加減観念して言うたらええやん。そんなに恥ずい?」
 不意に耳元で響いた女の声に、木綿は総毛立った。
 こちらが顔を逸らしていた隙に、女が耳に唇を寄せていたのだ。
「そんなのあったりまえだろうが――ふぉあ」
 抗議の途中で耳に息を吹きかけられ、全身から力が抜ける。
「思春期かいな。カッコつけてTOKYO弁喋りよってからに」
「本当にTOKYO人かも知れねえだろ、親も分からねえんだから――んぴぅ」
 再び耳に生暖かい空気を送り込まれ、言葉を断たれた。
「――そないなこと言いなや。アンタもウチも堺で育ったOSAKAモンや。一緒に歩いてBABEL見に行ったん忘れたんか?」
 ……忘れるはずがない。
 数年前までの木綿は、その生い立ち故に人を信じることが出来ず、周囲を拒絶し外界との接触を拒んでいた。
 そんな彼を外に連れ出したのが、今木綿の頭を膝に置いている少女だ。彼女もまた木綿と同じ境遇だった。しかし木綿と違ってよく笑い、そしてよく泣く少女だった。
 ……まるで誰かの分を引き受けるように。
 木綿は彼女に手を引かれ、一つの冒険をした。決断者(エグゼクティブ)と名乗る見ず知らずの老人を道案内し、行き倒れていた病弱な女の子を背負って家まで送り、最後に多くの人と共にBABELを見に行った。
 そこで木綿が目にした巨大な塔は、どこまでも高く、自由を目指して聳えていた。塔の先端に向かって手を伸ばした木綿は、あることを知った。
 光に満ちた世界を見ることの楽しさだ。
 彼の悩みは掻き消され、少女に対する未知の感情が残った。その感情を恋慕と呼ぶことを、木綿はのちに知った。
 だが、それ故に木綿は反発する。
 ……結局BABELはこの都市から失われてしまったじゃないか。
 もちろんそれが穿った見方であることは木綿も理解していた。
 しかし、“大切な人”との思い出に結び付くものが忽然と姿を消した瞬間、木綿はあることに気付いてしまった。
 それはこれから先、“大切な人”そのものが失われてしまうことに対する恐怖だ。
「返事は?」
 だが幸か不幸か、木綿は恐怖を軽減する方法を見つけていた。
 “大切な人”との関係を、希薄にすればいいのだ。
「…………」
 こちらの無言に対し、彼女は溜め息を一つ。
「いきなり総長連合目指すから稽古付けてくれ言うたり、TOKYO弁使い始めたり……最近のアンタはイマイチ分からへんなあ」
 総長連合。木綿がそこを目指すのもまた、恐怖を打ち消すためだ。
 関係を希薄にするものとは別の、木綿が考えられる最善の手だ。
 ……僕が強くなれば、“大切な人”を失わせることはない。
 だが、それは簡単なことではない。現に守るべき相手に気絶させられていたのだ。
 故に二つの相容れない方法を並行して行う。
 TOKYOの言葉を使うのも、その矛盾した行動を成し遂げるための願掛けだ。OSAKAが嫌いになったわけではない。
「ウチのこと嫌い?」
 ……好きに決まってるだろ!
 そう叫びたい気持ちを抑え、口を横に結ぶ。
 目を瞑り、相手が諦めるのを待つ。
 冷たい風が木綿の身体を摩った。庭先に咲く秋桜(コスモス)の香りが風に運ばれ、鼻孔を擽る。
「もうすぐ冬になって、そしたらクリスマス会やな」
 木綿は無言。
「ウチがここのおんぼろオルガン弾けるのも、高校三年の今年までや。就職先は忙しいさかい、な。――木綿は来年から高校生になって“ここ”の最年長になるんやから、しっかり皆の面倒見たってや」
 木綿は無言。
「木綿」
 木綿の唇に、温かい何かが落ちてきた。
 乾いた唇に染みこんでいくのは、水滴だ。
「やっと目ぇ開けてくれたな、木綿」
 木綿は、涙を浮かべて笑う少女を見上げた。
 長く艶やかな黒髪を真っ直ぐに伸ばし、額に赤い鉢巻を巻いている。
 そして彼女が着る白のワンピースからは、木綿の服と同じ洗剤の匂いがした。
「ねぇね」
 木綿はかつてのように彼女を呼んだ。
 よく笑い、そしてよく泣く少女は木綿の左手を握り締め、白い歯を見せた。
「なーんや、木綿?」
 明神・木綿は、ねぇね――明神・為子を護りたかった。

STAGE−ARGES 9th World

● 電影都市−アルゲス・第九世界区画 ●

◯「A・Mの言解議状態(サイトモード)『暴王の間にて』」◯
《A・Mの言像更新(オーバーリロード)
 掲げた左手が疼き、意識が覚醒する。
 眼前には巨大な玉座がある。
 ……僕は夢を見ていたのか?
 A・Mは不明瞭になっていく記憶を掴むことが出来ず、拭い切れない違和感だけを手にした。
「“暴王”討伐、おめでとう御座います、“将軍(ジェネラル)”A・M様」
 “七本槍(セブンスピア)”のシェックスがこちらの前に出て、侍女服のスカートを持ち上げて一礼した。
 ……そうだ、僕は“軍”や他の皆とボスの討伐に来ていたんだ。
 完全に白昼夢から目覚め、A・Mは己の置かれている状況を把握した。
 己が“暴王”に対して最後の一撃を加えたことを。
 故に、A・Mは勝者として勝ち鬨をあげなければならない。
 風を切るように振り返り、壇上を見上げる皆を見た。
 A・Mは左手を高々と天に掲げる。
「人々を苦しめる“暴王”は死んだ! 我々の――勝利だ!!」
 彼の元に集った英雄たちが、一斉に歓声を上げた。


 戦勝祝いは、戦場となった暴王の間で行われることとなった。数百人を収容できる大広間が主を失ったことで浄化され、敵となるモンスターが出現しなくなったからだ。
 この戦闘のMVPと表彰されたA・Mは、一段高い“暴王”の玉座に腰掛けて杯を傾けていた。
 本来ならば皆と同じ目線で宴に参加したかったA・Mだったが、“軍”の総大将という役柄上、この場に座らざるを得なかった。
 ……象徴としての意味合いもあるんだろうな。うん。
 己の役目をそう分析したA・Mは、渋々ながらも玉座に背を預ける。
 幸いなことに、“七本槍(セブンスピア)”が甲斐甲斐しく給仕してくれているお陰で、A・Mが退屈することはなかった。
「噂ではこの城がそのまま新たな都市となるとのこと也。その際には“暴王”討伐者が城主に選ばれるらしい也」
 今や“軍”の諜報部隊を率いるライメイが、部下から送られてきた報告書を読み上げた。
 すると彼女の肩に座るヒカリが興奮して侍女服を脱ぎ捨て、
「凄いね、ソレ! 嘘だったらその部下呪うケド」
 一瞬宴の間が静まった。
 A・Mが流すようにと手を振ると、再び騒がしさが戻る。
「でも、もし僕が城主になれたとしても、ずっとここにいるわけにもいかないしなあ」
 それを聞いたテンカワが笑みを濃くした。
「“シワコアトル”があるんだもの、不動の城なんてパーツ取りにしか使えないわよねー」
「この女は……」
 半目のヘキサがテンカワを横目に見ていたが、不意に部下から送られてきた詞片(メール)に表情を硬くした。
「あら、どうかしたのー? また例の問題児?」
「数少ない重騎召喚師(サモンストライカー)だ、多少個性が強くとも手放すには惜しい」
 ヘキサはテンカワの問いに感情を押し殺した声で応じた。
 今度はシェックスが頬に手を当てて胸を反らし、
「はン! 部下の教育がなってないわね亀豚ァ! 私の部下なんて全員完全調教済みの豚よ豚!! オラ豚共ォ! 返事はどうしたァ!!」
「――Pig.(ブヒィ)!」
 彼女の叫びに応じるように宴席から多数の嘶きが轟き、波が引くように周囲が距離を作った。
「豚共ォ! この世で最も偉いのは誰だァ!」
Pig.(ブヒィ)!」
「人語喋れや豚がッ! 脳味噌腐ってんのかァ!?」
Pig.(ブヒィ)、シェックス様です!」
「ハァ――――!? A・M様に決まってるだろ豚がッ!!」
Pig.(ブヒィ)、A・M様です!」
「穢らわしい豚の分際でA・M様の御尊名を口にするんじゃねぇ――――ッ!! 殺されてぇのかテメェらァ――――!!」
Pig.(ブヒィ)、申し訳ありませんシェックス様!」
「豚が人語を話すなァ――――――――ッ!!」
Pig.(ブヒィ)! Pig.(ブヒィ)! Pig.(ブヒィ)!」
 狂ったように嘶く豚たちをシャンが見下ろし、
「哀れな奴らなのさ……」
「哀れな胸に哀れまれてるぞ豚共ォ! ディスり返すぞォ! オラ、ひ・ん・にゅ・う! ひ・ん・にゅ・う! BOOOOOOOO!!」
 シェックスが胸を振り乱しながら手と腰を振って踊ると、
「ひ・ん・にゅ・う! ひ・ん・にゅ・う! BOOOOOOOO!!」
 シェックスの音頭に合わせて豚たちが復唱。シャンの顔が一瞬で曇るが、宴席から何人かのギルドメンバーが立ち上がり、
「ガンバレー! 巨乳なんかに負けるなー! あんなの醜い脂肪の塊だー!」
「シャンしゃま最高! ちっぱいは固有能力! ペロペロちたいでしゅー!」
「貧乳教団構え――ッ! あの豚共の腐った舌に貧乳の味を教えてやれッ!」
 その一言を切っ掛けに、東西に分かれた二つの勢力が宴席でぶつかり合い、騒ぎが一段と激しさを増した。
 一方ギルドメンバーの女性陣は慣れた様子でデザートの乗った卓を暴れる男衆から遠ざけ、騒音をBGMに菓子を貪りつつ談笑を続ける。
 討伐に参加した他ギルドや無所属のPCたちは最初あっけに取られていたが、やがて騒音に混じったり談笑に混じったりして己の立ち位置を決めていく。
 ……こういう空気は、悪くないよなあ。
 A・Mは雑然とした空間全体を眺め、満足気に頷いた。
 そんな中シャンは己を支持する勢力を指差し、
「だからちっさいって言うんじゃないさ――――――――!!」
 部屋中に響き渡る怒号をブチ撒けた。
 だが叫ばれた貧乳教団はシャンに向かって最敬礼し、
C・I・N・S(ちっさいって言うんじゃないさ)頂きましたァ――――――――!! ごっつぁんです!!」
 活き活きとした表情で豚たちにぶつかっていく。
 血と汗が飛び散り、怒声と悲鳴が宴席で湧き上がる。
「ちょっとした地獄絵図ってとこかこりゃァ。鬼の血が騒ぐねェ。――ほれA・M、一番旨そうな肉チョバってきたぜッ。オラッ肉食え肉ッ!」
 そう言ってアグリは大型獣系モンスターの丸焼きを掲げてみせた。今は騒乱の中心地になっている広間中央の大卓に置かれていたものだ。アグリは丸焼きに喰らいついて肉を毟り取り、そのままA・Mに顔を近付けていく。
「口移しだァ!? テメェ何やってんだ豚ァ!」
 シェックスがアグリにドロップキックを仕掛けて蹴り倒し、その場で乱闘が始まる。するとアドリのカロミが二人の元に駆け寄って宴席へと蹴り飛ばし、
「いっそ全員巻き込んじまいな!」
 言いつつ彼女は長剣で己の胸を刺し、
「皆さん、危ないですから喧嘩は止めましょう!」
 などとプランが正反対の言葉を投げる。
 しかし彼女は再び剣を突き刺し、表情を変えて宴席に降り立つ。そして踊り回り、男たちを魅了して騒ぎを大きくしていく。
「あの子、遊んでるわねー。私も“シワコアトル”呼ぼうかしらー」
 すると宴席のギルドメンバーが一斉に顔を見合わせ、
「姐さんそれは勘弁して下さい!」
「えー、どうしよっかなぁ……」
「姐さんキレイです! よっ、十七歳!」
「あらあらうふふ」
 目を細めているテンカワの隣、半目のヘキサが何か言いたげにしているが、諦めたように首を左右に振り、
「まあ、こうやって皆が揃って騒ぐ機会はそうそうあるものではないからな。王よ、従者たちの場を弁えぬ狼藉、願わくば許してやって頂きたい」
「狼藉なんて。楽しそうでいいよね」
 そう答えている間にシェックスとアグリの戦闘は豚と教団の戦闘と混ざり合い、さらに魅了された男たちの騒ぎも飲み込んでいく。
 事態を重く見たキルシュが中央に立ち、
「やめるんだお前たちぃ! 闇の力に飲み込まれるんじゃない! 暗黒逆十字軍の洗脳に打ち勝つんだァ! バッ! バッ! ギャキィ――――ン! 受けよ! シュッ! 魔を祓う聖なる光の刻印! ビュパアアアアアアアア!」
 口効果音付きでポーズを決めたキルシュが、両手を合わせて宴席に波動を送る。
 何故か数人のPCが膝を突いて耳を塞いだり床に五体倒地してもがき苦しんだり胃薬を求めて商人に駆け寄って高値で売りつけられたりしているが、皆己の中の闇と戦うのに必死なのだろうとA・Mは判断した。
「あの、皆さんあんまり他ギルドに距離を作られるような行動は謹んで頂きたいんですが……」
 困り顔のカイが自由な面々に物申したが、一斉に皆の視線を浴びると、
「な、なんでもありません……ごめんなさい私引っ込んでます……消えたい……」
 屈んで小さくなるカイの肩をライメイが叩き、
「元気を出す也。今晩秘術で慰めてあげる也」
「秘術? なんですかそれは」
「秘術故、人前で見せることは出来ない也。しかしどのようなものかを今から秘密の暗号で教える也」
 ライメイはアイテム詞窓(ウインドウ)を操作し、鍋蓋を取り出した。
 そしておもむろに鍋蓋を掲げ、やけに甲高い声で、
「フタな――」
「さぁーぁ詞片(メール)確認しなくっちゃぁ――――――――!!」
 カイは表情を殺して詞片詞窓(メールウインドウ)を弄り始めたが、すぐにその顔が驚愕に彩られた。
「えっ!? キャンセル!? なんで!?」
 慌てた様子で詞片詞窓(メールウインドウ)を操作している。
「カイさん、どうしたの?」
「あっ――、ちょっと皆さんお耳を」
 カイが小走りに寄って来て、玉座の周りに残っている“七本槍(セブンスピア)”に詞片(メール)を見せた。
 そこに書かれていたのは、
五菱(ペンタグラムダイヤモンズ)が仕事をキャンセルするだと? これはどういうことだ、カイ。お前先方に“また”妄想垂れ流して引かれたのか?」
「あれ以来送る前に自動チェック掛かるよう設定してますってヘキサ先輩! ――っと小声小声……。事情はどうであれ、このことを今この場で発表するのは危険だと思うんです」
 カイの言葉にライメイが頷き、
「皆が攻撃を仕掛けると言い出しかねない也」
「ボクは攻撃してもいいと思うケド。全く失礼しちゃうヨ」
「そんなことはやっちゃ駄目だよ。きっと事情があるんだ。発表は宴が終わってから」
 A・Mは組織の長として発言し、
「気を悪くしないでね? ヘキサさん、テンカワさん、キルシュさん」
 新型の装備を発注していた三人を気遣う。
「王の意に反するほど不出来な人形ではない」
「そうよー。現状でも戦力に問題はないんだし、大丈夫よー」
「フッ! オレは裏切られようとも寛大な心を忘れない!」
 三人の反応を有り難いと思いつつ、A・Mは己の無力さを噛み締めた。
 ……仕事を断られたのは、“軍”が信用に値しないと判断されたからだ。それは僕の責任だ。
「あっ、A・M様、仲介のシェド様から“軍”宛てに謝罪の詞片(メール)が! 今からここに来られるとのことです」
「不幸中の幸いとはこのこと也。久しぶりにライト殿の乳を揉めそう也」
「ライメイさん、他ギルドの方にまで手を出すのはやめて下さい……」
 ライメイの呟きにカイが恐る恐るといった様子で注意すると、
「仕方ない也。今回は同志オッパイ主土方殿との巨乳談義で我慢する也。彼は粋の分かる男也。ただ貧乳に関して視野が狭いのが残念也……。オッパイの主を名乗らないで頂きたい也……」
「その無駄に広くて有害なおっぱい愛も問題ですけど、土方さんと長時間話すのもやめて下さい。土方さんが女性と話しているとライトさんの機嫌が目に見えて悪くなるんですよ?」
「あれも駄目、これも駄目とは酷い也。代償としてカイ殿の胸を要求する也」
「え? いえ私の胸はA・M様に――――やめ、あ、はあぁあああっ!」
「なんだか妬けちゃうな、ボク……」
 三人の楽しげな姿に微笑したA・Mは、一つの予感を持って自身の詞片詞窓(メールウインドウ)を開いた。予想通りにシェドからの個人的な謝罪の詞片(メール)が届いていた。
 彼女が寄越した詞片(メール)の文面からは、今回の件がシェドにとっても予想外であったことが読み取れた。
 ……何かあったのかな?
 想像を巡らせるが、答えは出てこない。
 A・Mは頭を振って疑問を追い出し、次のことに目を向ける。
「じゃあシェドさんたちが着き次第、新メンバーの加入式を執り行なおう。段取り大丈夫だよね、カイさん」
 “軍”を作ってから、A・Mは新しく参入するメンバーと一対一で行う対話を欠かしたことがなかった。それは仲間となる相手と真正面から向き合い、互いの信頼を確たるものにするためだ。
 ……最近は新しく入る人が僕の前で一発芸披露する式になってきているけど。
「は、はい、A・M様。今回の新メンバーは女性一人だけです。女性はユストさん以来ですね」
 ホーホゲビルゲ・ユスト。かつて先生と呼んでいた灰魔術師(グレイウィザード)が、今では同じギルドのメンバーだ。
 ……奇妙な関係だなあ。うん。
 そしてこれからも色々な関係が増えていくのだろうとA・Mは思う。
 だから、
「いい人だといいね、新しい人(ニューカマー)。皆もそう思わない? ん?」
《A・M様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

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◇「木綿の過去『孤児院にて』」◇
 秋も深まり、いよいよ冬が近付いてきた。
 学生服の隙間から入り込んでくる風は身体を強ばらせる。
 木綿は孤児院の庭先で寒さに耐えながら、冬の足音に耳を澄ませた。
 風の音に混じって、草を掻き分ける音が聞こえてくる。木綿は屈んで音のした場所を探す。
 庭の花壇を一匹の白い鼠が駆けて行った。近頃屋根裏に住み着いている、頭に小さな禿のある鼠だ。
 木綿は禿鼠を捕まえるべきか迷い、
「ま、これといって悪さしてるわけでもないし、放っておいても大丈夫か」
 そのまま鼠を見送った。
「それにしても遅いな、ね――姉貴は」
 稽古前のストレッチをしながら、庭に通じる裏口を見遣った。
 既に夕日がその姿を隠しつつあり、夜が広がり始めている。
 ……今日はバイトもないって言ってたし。
 胸が詰まるような感覚を木綿は得た。
「まさか――事故に遭ったんじゃ」
 思いを口にすると、それが妙な現実感を伴って木綿の心を締め付けた。死んだように静かな街が、木綿に無言を送ってくる。耐え切れずに木綿は裏口から飛び出し、
「――あら、木綿やん。ただいまー」
 私立南大門学院の制服を着た為子が、裏口の前にいた。
「……おかえり」
 肩から力が抜ける。
 ……馬鹿か僕は。
 そして改めて彼女の顔を見ようとして、彼女の隣に見知らぬ男が立っていることに気付いた。
 私立南大門学院の男子用制服を着た男だ。男は眼鏡を掛けており、その両手には大きな紙袋を抱えていた。男はこちらの視線に気付き、軽く会釈を寄越してきた。
「…………。その人は?」
 男に会釈を返さず、為子に視線を戻して問うた。
「ウチのクラスメイトで理術師(プログラマー)。頭良うてな、来年からDT(デトロイト)行くんやで。凄いやろ。それとギターも弾けるんやで。最近ウチもちょこちょこ教えてもろとるけど、オルガンとは全然ちゃうわホンマに。――ああ、名前はヨシバ・ゲンキチな」
 すると男が半目で、
「だから為子さん、その読みは違うんだって」
 ……為子さん。
「えー? 眼鏡猿の字名(アーバンネーム)よりよっぽどええと思うけどなあ。元気出そうな名前やん? あはははは」
 為子は男の肩を何度も叩きながら腹を抱えて笑い転げている。
 避けるように逸らした視線の先、彼女が脇に差している二本の木刀には、赤い液体が付着していた。
「それ……」
「ん? ――あ、まだ血ぃ付いとるやん。ゲンキチ、ちょっと裾借りるで。――逃げなや、血拭くだけやん。――木綿、院長には内緒にしとってな。あの人説教長いさかい」
 男の制服で木刀の血を拭いながら笑う為子の顔を、木綿は直視出来なかった。理由は分からない。
「頼んだで? ――と、ゲンキチ、アンタ手ぇ怪我しとるやん。これも拭いといたるわ。感謝しぃ」
「うわーわざわざ僕の一張羅で拭いてくれてありがとー――痛い痛い抓らないでっ、あー! ごめんなさい!」
「分かればよろしい。あー木綿? 一応言い訳しておくとな、ここのゲンキチがやめときゃええのにアホに喧嘩売って案の定返り討ちに遭ってやな、そこに通りかかったウチがそのアホしばいて付いた血やねん。つまりは無償の人助けな」
 紙袋を抱えた男が為子を肘でつつき、
「買い物に付き合わせた挙句、荷物持ちまでさせておいて無償の人助けか。――それに言っておくが僕は花壇を踏み荒らす馬鹿共を注意しただけで喧嘩を売ったわけじゃない」
「結局相手に殴られとるんやから一緒やろ。アンタのそういうとこは嫌いとちゃうけどな。――それに言っておくけどタダより怖いもんはないで、と。ほれ、荷物貸しぃ。――あんがと、ゲンキチ」
 男から荷物を受け取った為子がこちらに振り返り、
「今日は約束しとったのに遅うなって御免な、木綿。お詫びと言っちゃなんやけど、色々お土産買うて来たさかい、それで勘弁してな」
 紙袋の中から板チョコを取り出してこちらに突き出してきた。隣にいる男と選んだであろうものを。
「そうそう木綿、このゲンキチやけどな、アンタに面白いくらい似てるとこがあって――」
「いらねえ」
「え?」
「いらねえって言ってんだよ!」
 乾いた音が一つ。
 気が付けば、彼女の手を払っている自分がそこにいた。
 既に日は落ち、目の前に立つ為子の表情さえ知ることはできない。
 ましてや、その想いなど。

STAGE−ARGES 3rd World

● 電影都市−アルゲス・第三世界区画 ●

◯「アゴラ・バリュスプロイの言定議状態(ボードモード)『劇場型戦艦“ピクシス(らしんばん座)”・座長室にて』」◯
《アゴラ・バリュスプロイの言像更新(オーバーリロード)
 :ここは劇場型戦艦“ピクシス(らしんばん座)”第二層の記常頁(トップページ)艦橋(スケーネ)”です。
 :アゴラ様は座長席に深く腰掛けています。
 :現在、同盟員専用の擬似会議空間を展開中です。
 :会議の参加者は“プピス”戦闘指揮艦長『オルフェウス』イナェ大夫様、“カリナ”戦闘指揮艦長『カストール』平井・リョウコ様、“ヴェラ”戦闘指揮艦長『ポリデュークス』千里ノ木乃様です。
 :イナェ大夫様は無表情、平井・リョウコ様は思案顔、千里ノ木乃様は首を傾げています。
 琴大夫:「――以上で神託報告を終了します」
 平井犬:「なんと言うことでしょう……。これでは世界中に大規模な被害が……」
 千里猫:「ねえねえ姉ちゃん、何の話? 私途中から寝てて聞いてないんだけど」
《アゴラ・バリュスプロイの言像更新(オーバーリロード)
 :平井犬様が目を剥いておられます。呆れているものと判断します。
 平井犬:「貴女って子は……! 座長! 少々席を離れても構いませんか!? これから説教を!」
 アゴラ:「まあまあ、落ち着きたまえ。――つまり、我々は計画を早める必要がある、ということだよ、『ポリデュークス』君」
 千里猫:「へー。じゃあ、もう仮面(ペルソナ)を外すってこと?」
 アゴラ:「それも已む無しだ。まだ『メディア』と『アスクレピオス』の仮面(ペルソナ)適合者を見つけていないが」
 琴大夫:「――座長、門が近付いております。航路を変更しますか?」
《アゴラ・バリュスプロイの言像更新(オーバーリロード)
 :皆様は黙してアゴラ様の顔を見ています。判断を仰いでいるものと判断します。
 アゴラ:「いいだろう。皆、覚悟は出来ているようだね」
 琴大夫:「全ては座長のお心のままに。座長万歳。座長愛してる。座長のためなら死ねる。皆様そうですね?」
 アゴラ:「当然のことを尋ねるのは無粋だよ『オルフェウス』君!」
《アゴラ・バリュスプロイ様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

STAGE−ARGES 6th World

● 電影都市−アルゲス・第六世界区画 ●

◯「智楽院・光明の言解議状態(サイトモード)『六欲天フィールドにて』」◯
《智楽院・光明の言像更新(オーバーリロード)
 渦巻く闇に覆われた無限回廊に、一体の白骨が立っている。
 白骨は僧衣と鎧を組み合わせた防具を見に着け、片手に一丁の銃を提げていた。白骨の周りには、彼を取り囲むように無数の骸が積み重なり、死と硝煙の臭いを放っている。
 ……こっちに被弾は無し、と。
 白骨は己の無傷を確認したあと、無造作に銃を目線の高さまで持ち上げ、撃鉄の隣に設けられたカードホルダーを広げた。そしてその中にある唯一のカードを引き出し、照星型のカードリーダーに通す。銃がカードを読み込み電子音を奏でた。
 その音を合図に、白骨は引き金を引いた。
 弾丸は吐き出されず、代わりに硝子を砕くような音が響く。
 彼が撃った先に光で構成された蝶が現れて一瞬で砕け散り、次いで人型のノイズが現れる。ノイズは0と1の数字から成るもので、時と共に密度を増し、その姿を鮮明にしていく。
「やはり君はこのフィールドと相性が良いらしいね」
 白骨の呟きに応じるように、人型のノイズだったものが若い男の姿を得て、白骨に言葉を返す。
「みてえだな。しかし回転発砲(ダンス・ウィズ・ファイア)、か。この世界のスキルが上乗せされているとはいえ、相変わらずの腕前だな、ヒカ――っと、今は別の名か」
 白骨は頷き、カードをホルダーに戻した。
「智楽院・光明。今の僕に相応しい名だ。君は――どうだろう」
 光明の前に立つのは、黒の単車に跨り、抜き身の日本刀を携えた男だ。彼の纏う白装束は、その裾に炎を宿しており、今も火花のエフェクトを散らしている。
「さあな。少なくとも、小猿の奴は俺の名前どころか存在すら覚えてねえだろうな。あいつ才能無かったし」
 すると光明が頭蓋骨を傾げ、
「でも、君は彼を助けるつもりなんだろう? 未だ確定していない時間で」
「ああ。こんな身体になっちまったけど、そのお陰でちょっとだけ先の世界を“視れる”ようになったんだ。だったら有効活用しない手はねえ」
 しかし、と光明は男に言った。続けて、
「イレギュラーである君がこの世界で死んだ場合に、どうなってしまうのか分からない、と。教授はそう言っていたよ。それでもか?」
 男は刀で己の肩を叩き、
「既に地獄に片足――いや、全身突っ込んでるぜ、俺」
「愚問、か。――それで、どうやって彼を助けるつもりなんだ?」
「どうやって、だと? そんなもん、一つしかねえさ。俺が“今川”の菊乃姐さんにやられたのと同じ目に合わす」
 男が刀を掲げ、
「名刀・左文字。これを俺から奪えねえのなら、小猿に覇道を征く資格はねえ。そんで小猿は俺の子分に逆戻り、って寸法だ。
 だからお前には“昔”に戻ってもらう。だがもし俺が失敗するようなことがあれば――お前が“先”に進めろ」
 白骨は――光明は無言。
 だが、男が真っ直ぐと己を見据えたまま動かないことに気付くと、諦めたように両手を高く掲げた。
「ああ、分かったよ。――僕は君に全てを賭ける」
「おう。じゃ、後ろ乗れよ。お前遅ぇんだからよ」
 男に促され、光明は単車の後部座席に腰掛けた。そして、男に最後の問いを放つ。
「行くのか?」
「是非も無し」
《智楽院・光明様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

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● 電影都市−アルゲス・第九世界区画 ●

◯「ホーホゲビルゲ・ユストの言解議状態(サイトモード)『暴王の間にて』」◯
《ホーホゲビルゲ・ユストの言像更新(オーバーリロード)
 ユストは式典を広間の隅から眺めていた。その顔は不安げだ。
 彼女の隣には、“軍”とは旧縁の“世界交商学団”の面々が揃っている。彼らのうち、シェドを除いた二人も先程から思案顔だ。
 切っ掛けはグッドイ主土方の石川・V・ライトに対するセクハラ行為だ。双方が限界を越えた動きを見せ、しかし何かに驚いたように動きを止めた。
 その二人を横目に見たユストは、一つの予想を得ていた。
 ……二人は“覚醒”しつつある。
 土方とライトは、アルゲスの“外”にある世界を認識出来る存在に革新しつつあるのだ。
 “外”を知るユストは、彼らに声を掛けるべきか迷い、
 ……でも、シェドはまだなのよね。
 A・Mに視線を送るシェドを見た。彼女はこの世界に違和感を抱くことなく生きている。それが本来プレイヤーの在るべき姿だ。
 しかし、ユストは“覚醒者”が生まれること自体をイレギュラーだとは思わない。
 ……“覚醒者”の存在を、フリークマンが把握していないとは思えないから。
 無論、気付いていないという可能性もある。しかしそう考えるには、あまりにもフリークマンは優秀過ぎた。
 だから逆説的に、“覚醒者”はその存在を生みの親から許容されていることになる。
 彼が――性別も、個人であるのかさえも分からないが――フリークマンが“覚醒者”に何を期待しているのか。どのような役目を与えるつもりなのか。それは彼の存在と等しく謎だった。
 その謎が一向に解けないことに、ユストは焦燥を感じていた。
 ……情報屋としての仕事を果たせないことへの焦りよりも――嫌な予感の方が強い。
 それはまるで、
 ……あの嵐の夜みたい。
 かつて過ごした時間を思い返す。そこには友と呼べる者たちがいて、心安らぐ場所があった。だがそれを捨て去って今ここにいる。
 ……後悔はしない。そう決めたはずなのに――。
 追いかけてくる者がいた。
「それこそイレギュラーよ」
 だがユストはそのイレギュラーを否定しない。肯定もしないが。
「全ては保留、ね」
 土方とライトを流し見て呟いた。その時だ。
 大広間を歓声が埋めた。
 新しく“軍”に入る女が、会場に現れたのだ。
 ローブを目深く被った女は静々とA・Mの元に歩いて行き、玉座に座るA・Mの前に進み出た。
 ユストは直感した。
「まずい…………!」
 女がローブを脱ぎ、素顔を晒した。
《ホーホゲビルゲ・ユスト様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

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◇「木綿の過去『孤児院にて』」◇
 終業式を終えて孤児院に帰れば、クリスマス会はもう目前だ。
 例年ならばクリスマス会で孤児院の夜は静かに更けていくはずだったが、今年は違っていた。
「おんぼろオルガンが壊れた? それホンマですか院長!?」
 木綿が大広間で準備を手伝っていると、隣の部屋から為子の声が聞こえた。彼女の手を払って以来、意図的に避けていた木綿だったが、視線は無意識のうちに彼女を捉えていた。
 見れば、為子と院長が向き合って話している。院長は困り顔で、
「鼠が噛んだんやろか。――今からじゃ修理も間に合わへんなぁ。他の楽器もあらへんし……為子の最後の演奏やのに……」
 すると顎に手を添えて黙り込んでいた為子が、何かを思い出したように手を打った。
「院長、『清しこの夜』やったらギターで弾けますやん。ウチのクラスメイトにギター弾くやつがおるさかい、今から貸してくれるよう頼んで来ますわ」
「あら、ギター弾けるようになったん? 学校の授業中に指弾で弦引きちぎっとらんかった? ウチ学校に謝りに行った記憶あるんやけど」
「む、昔の話をよう覚えとるなあ院長は。――そのクラスメイト、教えるの上手いからウチでもそれなりに弾けるようになったんですって。兎も角、楽器はそれでいきましょ。――ほんならちょっくら行ってきます」
 大広間にやって来た為子は、こちらを見て一瞬黙り込んだが、窓の外を見て、
「あー、でも結構外暗なっとるなあ。――木綿」
 こちらを正面から見据えて呼び掛けてきた。
「…………」
「一緒に付いて来てくれへん? アンタおると頼もしいんやけど」
 ……嘘だ。僕より強いじゃないか。
 彼女が自分を気遣ってくれていることに、木綿は気付いていた。しかしそれが分かっているからこそ、木綿は反発する。
「一人で大丈夫だろ。なんならそのクラスメイトに途中まで持ってきてもらえばいい」
 先日為子と親し気に話していた男の姿が脳裏に浮かんだ。胸が焼かれたように熱くなり、思ってもいないことを口にする。
「――いっそ、そいつんとこでクリスマス過ごしてきたら?」
 心ない言葉を聞いた為子が、息を詰めて一切の身動きを止めた。
 ……殴ればいい。
 怒った彼女に殴られることを、木綿は望んでいた。そうすれば、彼女は自分に愛想を尽かす。そうすればもうこんな辛い思いはしなくて済む。木綿はそう思っていた。
 だが、彼女から返ってきた反応は、まるで別のものだった。
「――――っ」
 嗚咽だ。
「あ……」
 後悔が木綿を支配した。だが既に遅い。
 瞳に涙を溜めた為子は、そのまま孤児院を飛び出していった。
 木綿は、彼女を追い掛けることが出来なかった。取り返しの付かないことをしてしまったという自責の念が、身体を鉛のように重くしていた。

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◯「A・Mの言解議状態(サイトモード)『暴王の間にて』」◯
《A・Mの言像更新(オーバーリロード)
 女は紅い瞳を持っていた。A・Mと同じ、紅い瞳を。
「ねぇね……?」
 ここではないどこかで過ごした日々が、女と見つめ合うことで蘇っていく。
 黒い長髪、白いワンピース、赤い鉢巻。
 今目の前に立つ女は身体の各部に機械の要素を持っているが、その姿はA・Mのよく知る女と瓜二つだった。
 しかしA・Mは過去との邂逅に耽溺することはできなかった。
 何故ならA・Mは知っていた。
 かつて彼がねぇねと呼んで慕っていた女は――――。
《A・M様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

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● 現実世界・かつて言詞塔(バベル)が聳えていた都市 ●

◇「木綿の過去『孤児院にて』」◇
 ねぇねが交通事故に遭った。
 僕と喧嘩して、家を飛び出したあとで。

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● 電影都市−アルゲス・第九世界区画 ●

◯「A・Mの言解議状態(サイトモード)『暴王の間にて』」◯
《A・Mの言像更新(オーバーリロード)
 ……有り得ない!
 女が微笑み、こちらの左肩に顔を近付けた。唇で触れたのだ。
 “軍”のメンバーが歓声を大きくする。
 ……ねぇねがここにいるはずがない!
 左肩から顔を離した女が、今度は右肩に口付ける。
 歓声が――ノイズが大きくなる。
 ……五月蝿いな。
 仲間の声が、疎ましく感じる。
 そのことにA・Mは驚愕する。
 いつの間にか女が正面からこちらを見据えていた。女は最後の仕上げとして顔を近付け、
「テメェ豚ァ――――ッ! A・M様の唇に触れるんじゃねェ――――――――ッ!!」
 鷲の翼を生やした魔女が、女目掛けて飛んで来る。
 だが女は表情を変えず、一振りの日本刀を抜き放った。
 そして明神・為子と同じ声で、
「下がれ眷属!」
 女の叫びに、魔女が翼を止めた。
 否。
 止められたのだ。
 魔女だけではない。彼女を始めとした“七本槍(セブンスピア)”の十人全てが、床に伏して動きを止めていた。
 女は刀を高く掲げ、歌うように名乗りを上げた。
「我が名は浅井・一文字。全ては主の意のままに」
 女が振り返り、唇を近付けてくる。A・Mに拒む理由はない。
 触れた唇から、舌が入り込んでくる。A・Mに拒む理由はない。
 這いずる舌が、蛇となって心を喰らう。A・Mに拒む理由はない。
《一文字:疾病技能(ウイルステック):発動:『闇裏の繭』:詞速(ラン)》
 騒がしいノイズが、消えた。
《A・M様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

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◇「木綿の過去『夜の街にて』」◇
 病院に搬送された明神・為子は、かろうじて一命を取り留めた。だがそれを幸いと呼ぶことはできなかった。
 彼女の意識が戻らないのだ。
 目を伏せたままの為子は、死んでしまったように動かない。
 彼女を見舞いに行った木綿は、罪の意識に耐え切れず病室から飛び出した。
 全てから逃げるように。
 逃げ延びた先、街を暗い闇が支配している。光も見当たらず、沈黙が木綿の心を蝕んでいく。
 木綿は光を求めるように、歌を歌う。明神・為子が愛した歌を。

 Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ
 All's asleep, one sole light,/全てが澄み 安らかなる中
 Just the faithful and holy pair,/誠実なる二人の聖者が
 Lovely boy-child with curly hair,/巻き髪を頂く美しき男の子を見守る
 Sleep in heavenly peace/眠り給う ゆめ安く
 Sleep in heavenly peace/眠り給う ゆめ安く――

 歌は途中で掠れ、嗚咽に変わっていく。
「吐き気を催すような歌だ」
 不意に、背後から男の苛立たし気な声が響いた。振り返れば、かつて為子と共にいた男が立っている。
「アンタは――ヨシバ・ゲンキチ」
 呼び掛けると、男は瞳に暗い光を宿してこちらを睨んだ。
「僕をその名で呼んでいい人は死んでしまった」
「ねぇねは死んでなんか――」
 男はこちらの抗議を遮るように笑い、
「医者の話を聞いていないのか? 為子は頭を強く打ち、脳に損傷を負ったんだ。生きているのが不思議なくらいの傷をな。きっと彼女はこのまま眠り続けたまま朽ち果てていく。――“下らない歌”を愛したせいで」
「……今、なんて言った」
 男は為子が愛した歌を侮辱した。そのことが、木綿の瞳に力を与えた。
 憎悪という名の力を。
「“下らない歌”だ。――そうだな、彼女の神と言い替えてもいい。彼女の信仰が、彼女を殺した。
 それとも……、これから彼女は救済され、神の子となるのか? ――はン、下らない、実に下らない。
 彼女はこの世界が終わるまで眠り給うだろうよ!」
 気が付けば、拳を握っていた。
 誰かを護りたいと願い、力を求めた左拳を。
「アンタさえ――」
「お前さえ――」
 正面で、男も右拳を構えていた。
 そこから先は、もはや覚えていない。

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◯「シェド・セイヴレフティの言解議状態(サイトモード)『暴王の間にて』」◯
《シェド・セイヴレフティの言像更新(オーバーリロード)
「なんやこれは!?」
 暴王の間が――城全体が振動している。その原因と思われる存在が、玉座に腰掛け広間に集った人々を冷たい瞳で見下ろしている。
 A・Mだ。
 隣に浅井・一文字と名乗る女を傅かせたA・Mの両肩からは、黒く巨大な蛇が鎌首をもたげている。
 “七本槍(セブンスピア)”が身動きの取れぬ今、“軍”の指揮系統は乱れ、恐慌寸前だった。
 そんな中彼らが辛うじて冷静さを保って“敵”からの攻撃に身構えていられたのは、皮肉にも“軍”で修羅場をくぐり抜けてきた経験の賜物だった。
 わずか数瞬の間に異形と化したA・Mは、戸惑う人々に右手を掲げた。
「諸君。この世界がおかしいと思ったことはないか?」
 彼のものとは思えない、冷たい声だった。その声が、蛇のように人々の心に這入り込んでいく。
「諸君。この世界を知りたいと思ったことはないか?」
 彼が話すごとに、皆が言葉を失って話に聞き入っていく。
「諸君。この世界を変えたいと思ったことはないか?」
 隣に控えていた浅井・一文字が前に進み出た。
 わずかに前屈みになった一文字の背に、突如十二の白い翼が展開した。
 “天使”だ。
 皆がどよめく中、“天使”は己の刀で空を断つ。
《一文字:ゴッド・オブ・ゲート:発動:『神の門(バビロン)』:詞速(ラン)》
 断たれた空間が内側から何かに押し広げられ、光を吸い込む黒の塊が這い出てくる。
 漆黒の四角柱が、広間の中央に浮かんだ。
 黒一色の、何の装飾もない無機質な塊だ。
 石版(モノリス)は、怯えることなく己の存在を誇示している。
「これは――門だ」
 A・Mの呟きに、皆が視線を彼に送った。
 ……彼の言葉に皆が引き寄せられている!
 危険な徴候だった。魅了の術式を掛けられたときのように、己の意志が奪われて行く感覚をシェドは得ていた。
 自身の意志を強く保つため、シェドは首を振った。それに応じるように、二枚の詞窓(ウインドウ)が同時に現れた。
《グッドイ主土方様がギルドを脱退しました》
《石川・V・ライト様がギルドを脱退しました》
「え――?」
 突然起きた出来事に理解が及ばず、シェドは我が目を疑った。次いで、その疑いが事実であることを願いつつ背後の二人に振り返る。
 しかし、振り返った先で待っていたのは小さな短針を突き出すライトの姿であり、
「済まぬ、委員長。許して欲しい」
「このギルドからPK出したくねえからな」
 急速に掠れていく視界の中、二人の男女が近くにいた何者かの肩を叩き、
「委員長を頼んだぞ、ユスト」
「俺としてはライト、お前も頼んでもらいたいんだが」
「……馬鹿が。帰ったら色々と話があるから覚えておけ」
「へいへい。こっちも色々と揉みたいから覚えておけ、と」
 最後に聞こえたのは、打撃音だった。
《シェド・セイヴレフティ様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

◯「A・Mの言解議状態(サイトモード)『暴王の間にて』」◯
《A・Mの言像更新(オーバーリロード)
 多くの者が動きを止めるなか、こちらに突き進んでくる者が二人いる。
 石川・V・ライトと、グッドイ主土方だ。
 忍者の移動術を駆使して接近してくる二人に対し、浅井・一文字が刀を携え迎撃に向かう。
 ……ここで“力”を確かめるのも悪くない。
 思い、玉座から立ち上がる。
《A・M:大将軍技能(テック):発動:『力への意志』:詞速(ラン)》
 硝子の割れる音が響き、足元に大円陣が広がる。
 身体に力が漲るのを感じつつ、前を見た。
「一文字。一人通せ」
「承知」
 一文字がライトを見送った。
「余裕だな小僧……!」
 忍者刀を逆手に構えたライトが叫びと共に壇上に飛び上がる。
《A・M:大将軍技能(テック):発動:『善悪の彼岸』:詞速(ラン)》
 再び硝子を砕く音が一つ。さらに力が増す。
 その間に、ライトはこちらに対しやや右側から飛び込んでくる。
 それは、
「本命の左は打たせん……!」
“我が手に掴めぬもの無し”
 右手を伸ばし、ライトの首を掴み取った。
「なっ――――!?」
 掴んだライトが、こちらを見て驚愕している。
「ライト――――ッ!」
 一文字と相対する土方が吼え、こちらに銃口を向ける。が、
「断ち切る」
 その一語と共に一文字が刀を振り抜いていた。
 銀弧が走ったあとを、血の軌跡が追い掛ける。
 銃口を半ばから断たれ、胴に深い斬り傷を負った土方が、口から赤い霧を吐く。
「石川・V・ライト」
 こちらの呼び掛けに、女は一瞬肩を震わせた。だが、すぐに気丈さを取り戻し、こちらを睨み返してくる。
「石川・V・ライト。実にいい名だ」
 唐突な話題に、ライトは眉を顰めた。
「そして、一人の盗賊――石川・五右衛門として茹で殺すには惜しい人材だ」
「小僧、まさか貴様は――」
「石川・V・ライト。実にいい名だ。我の配下として仕えるのに相応しい名だ。そうだろう、石川・V・ライト――否、石川・数正よ」
 こちらの言葉に、女は何かを悟ったようだった。
「断る!」
「では、彼はこのまま討たれてしまうな」
 女の顔を切り伏せられた男に向けた。
 女が息を呑んだのを感じつつ、
「グッドイ主土方。彼もまたいい名を持っている。殺すには惜しい」
「やめろ……」
「グッドイ主土方――杉谷・善住坊として死なせるのではなく、土方・雄久として我に仕えさせるというのはどうだろうか」
「それを口実にシェドにも名を与えるか! 己の後に覇を成す者の名を! そしてシェドを捕らえ、己の害を取り除くつもりだな!?」
 今の言葉を聞いて、反応を見せた者が数名いた。
 “覚醒者”だ。
 A・Mはその顔を記憶し、
「ははは、愉快だな、全く。――余興はこれまでだ」
 女を宙に放り投げる。
 そして、両手を掲げて正面を見据える。
「餌だ、蛇よ」
 両肩の蛇が、天と地の女と男を喰らった。
 全ては一瞬だ。
 その一瞬ののちに、悲鳴が広間に響き渡る。
《暴王の城の所有者をA・M様に認定。城内の暴王の名称を蛇王に変更します》
《蛇王の城の名称を変更できます。変更しますか? Y・N》
 A・MはYを選択。
「クリンタ城」
 その一言で、城の内装が一変した。蛇を模した文様が刻まれた、漆黒の城へと。
「諸君」
 こちらの呼び掛けに、魅了された者たちが視線を返してくる。
 城から逃げ出す者を無視し、手を掴んで引き寄せようとする者を振りほどき、ただただ視線を送ってくる者たちだ。
「我と共に、鍵を集めてくれないだろうか。この門を開くための扉だ。鍵は、七巻十四冊から成る一つの物語。世界の終わりを記した年代史」
 皆は無言。
「それら全てが揃ったときに――本当の世界の話をしよう」
《A・M様の言解議状態(サイトモード)を更新します》

《ADDITIONAL MISSION》
1.Subdue the King of snake.
2.Seal Angra・Mainyu and arouse Ahura・Mazda.

Is the world choice ―― 1 or 2 or ...?






...Mission Start.