2005年、冬の終わりに

 深夜。
 誰もが音を発さぬ時刻に、一人の男が古びたアパートの前で仁王立ちしていた。
 男は周囲を見回し人がいないことを確認。
 その足は淀みなく一つの部屋を目指す。
 数秒で歩みは止まった。
 表札には、黒の太ペンで無愛想に生田と書き殴られている。
 男はもう一度周囲を見回した。
 彼以外に動くものはない。
 安心した男は、部屋と外を隔てる扉に向き合った。
「時間は十……いや五」
 確認するように呟き、鍵穴に針金を差し込む。
 金属を引っ掻く音が連続し、男の前に立ち塞がる扉がゆっくりと開かれた。
 はやる気持ちを抑えるように、
 ――直人・心理技能・発動・自己制詞・成功……。
 次に、
 ――直人・視覚技能・発動・暗視・成功。
  ――直人・視覚技能・発動・間取り照合・成功。
 目的の品は奥の部屋――襖によって隔てられている――にある。
 そして、
(封戸が寝ているのも奥の部屋……!)
 ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗。
 鼻息が荒くなる。
(おおおおお落ち着け俺!)
 ――直人・心理技能・発動・自己制詞・成功。
 本来の目的を記憶から反芻する。
 靴下を手に入れる。
 なぜ今日なのかというと、
(冬物のソックスは今日で穿き納め――!!)
 自信に活を入れるべく、今日までの靴下姿を脳裏に展開する。
 と、ここにきて一つの記憶が蘇った。
 それは先週の昼休みに何とはなしに交わした会話で、
 最近裸健康法を試している、という一言だ。
 彼女の説明によると全裸で布団にくるまることらしい。
 靴下に視点を固定していたため、それから後は聞いていなかったので詳細は分からない。
(くぉあッ……!)
 ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
  ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
   ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
    ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
     ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
      ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
       ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
        ――直人・心理技能・発動・自己制詞・失敗!
 もはや静止することなどできなかった。
 心の動きは身体の動きを生み、一つの流れを作る。
 ――直人・義体/体術/脚術技能・発動・跳躍・成功。
 一足で襖の前に飛び、
 ――直人・体術/腕術技能・発動・襖開け・成功。
 音を一つも立てずに襖を開け、
 ――直人・義体/体術/脚術技能・発動・跳躍・成功。
 さらに封戸の足下へ跳び、
(駄目だッ!)
 ――直人・心理技能・発動・自己制詞・成功!
 布団を掴んだまま動きが止まる。
 己の唇を噛む。
 心の中で叫び声が響く。
 思い出せ、思い出せ、思い出せ!
「俺は……」
 唇から赤い糸が伸びる。
 しかしそれを痛みと共に無視。 
 直人は己を強く吼詞。
 意識はより明確に。
 意志はより確実に。
 自分自身が何者なのかを、強く問う。

「ソックスハンターだ!!!」

 それ以外の何者でもない。
 今求めるべきは靴下だ。

 我靴下を求む故に我在り。

 形、臭い、手触り。
 思い描かれたそれらは直人を強く後押しする。
 封戸の裸体への思いを打ち払い、箪笥へと向かう。
 衣服の配置は部屋に訪れた際に確認している。
 靴下は最下段にある。
(いざ……!)
 手を伸ばしたのと同時、直人の視界が揺らいだ。
 そして部屋の隅まで弾き飛ばされる。
 痛みが遅れて側頭部を襲った。
 振り向けば、
 ――直人・視覚技能・発動・暗視・成功。
  ――直人・視覚技能・発動・人物照合・成功。
「一応言い訳するけど、夜這いが目的じゃなくて靴下が目的だから! その辺間違えないように!」
 ――封戸・腕術技能・発動・殴打・成功!
 直人は錐もみ状に部屋を舞い、窓ガラスに顔から突っ込んで沈黙した。
 なお悪いわ、と心だけで呟き、封戸は再び布団をかぶった。



 翌日、いつの間にか封戸の横で寝ていた直人はもう一度空を舞った。
 その手に靴下が握られていたかどうかは誰も知らない。