2005年八月某日

 うだるような暑さの中、二人の男女が歩いている。
 神戸圏総長、生田・封戸。
 その護衛にして神戸圏副長、一宮・直人。
 二人はラフな格好で、大きな荷を担いでいる。
 彼らが目指しているのはアジュール舞子。
 明石海峡大橋東側に位置する砂浜とその一帯の公園だ。
 そこはJR舞子駅から徒歩で数分の距離にある。
「暑い……」
 アジュール舞子に通じる道は橋以外に空を遮る物はない。
 容赦なく太陽の光が二人を照りつける。
 背を曲げて歩く直人の手には缶ジュースが握られているが、
「ホットコーラとかありえねえよ……」
 駅にある六ボタン式自販機はステージクリア数で落ちてくる飲み物が変わる。
 ホットコーラは第三ステージの景品だ。
「弾幕系は向いてないな……」
 だが漢はワンコイン。諦めてホットコーラを飲む。
 一方封戸はコンビニで買った500mlの牛乳パックを片手に涼しい顔で歩いている。
「家で扇風機とお見合いしていたい……」
 封戸が空いているほうの手でスカートのポケットから折り畳んだ紙切れを取り出した。
 紙を広げ、直人に向けて上下に揺らす。
「わかってるって。美術の課題だもんな」
 紙には二人が所属する学校の夏季休講中の課題が記されている。
 美術科の欄には、
『みんなで破壊し甲斐のありそうな明石海峡大橋の絵を描こう! もし忘れたらお前が明石海峡大橋だからな』
「深くは考えまい……」
 直人は思考を放棄して歩くことに専念。
 ホットコーラはまだ熱い。

          ●

「あそこで描く? 見晴らしいいし」
 隣で封戸が頷く。
 二人で橋を眺めつつ芝生の上を進む。
 封戸が歩みを止めた。
 直人も立ち止まる。
「シート広げよっか」
 直人が背負っていた荷袋を降ろし、中からレジャーシートを取り出す。
 シートには『レジャー、レジャー!』と部下の名前を連呼する老人と眼鏡をかけた部下と思しき男が印刷されている。
 興味深そうにそれを見つめる封戸と共にシートを敷く。
 四隅を荷物などで押さえれば準備完了だ。
 封戸は早速自分の荷物からスケッチブックや筆箱を引っ張り出す。
 その間直人はシートに上がらず封戸の背後で棒立ち。
 シートの上で四つん這いになって画材を並べる封戸を視姦するためだ。
 スカートが風に揺れるが、捲れ上がりはしない。
 見えそうで見えないギリギリのラインだ。
 ここではスカートの中身が安易に見えてはならない。
 その方が想像力を書き立てるからだ。
「それでいい……その位置がベストッ!」
 叫び、直人は後悔。
 ……テンション上がり過ぎた!
 封戸が振り返りながら鉛筆を投擲。
「うおっ!」
 額目掛けて飛来してきた鉛筆を寸での所で掴む。
「いやーごめんごめん、封戸のふくらはぎがあまりにも魅力的で」
 封戸が再度鉛筆を飛ばす。同じ軌道を描き、直人が掴んでいる鉛筆の柄を強打。
 衝撃で先に放たれた鉛筆が飛び出す。
 直人の額に鉛筆が刺さった。
「ごめん。今度から一言断ってから視姦する」
 額から血を流しつつ土下座。
 抜けていなかった鉛筆が地面にぶつかり深々とめり込む。
 転げまわる直人を封戸は無視。橋を見ながらアタリを取っていく。
 復活した直人は自分のスケッチブックを取り出し、封戸に向き直る。横顔に浮いた汗は日を浴びて輝いている。
 その一瞬を網膜に焼き付け、スケッチブックに描き写していく。
 橋を力強く見据える瞳は激しく。
 風に揺れる黒髪は割れ物を扱うように繊細なタッチで。
 無駄のないボディラインを紙の上で精密に再現する。
 直人は描写速度を上げた。
 逸る気持ちを抑えられない。
「もうすぐ足……!」
 封戸は現在シートの上に正座して大橋を描いている。
 そのシートが風でめくれ上がらないよう、四隅にお互いの靴や荷物を置いてある。
 それが意味するのは、
「NA・MA・A・SHI!」
 直人は脳の使用領域を限界まで封戸の生足で埋める。
 照り付ける太陽の光に晒された生足は、普段よりも紅潮して見えた。
「照れんでもええって」
 直人は生足に優しく語りかける。
 何も恥じることはない、ありのままの君を見せて欲しい、と。
 すると足は応えた。
 初めは恐れるような動き。
 動きは時間と共に大胆になっていく。
 全てが展開した。直人の脳内で。
 同時に直人は封戸を描き終えた。
 達成感と寂寥感が直人を包み込む。
「これが描き終えるということ……」
 スケッチブックから視線を外す。
 封戸が座っている。
 絵の中の封戸とは違い、橋を見ずにこちらを見ていた。
 封戸が猜疑の視線で問うている。
 直人はやや逡巡した後、封戸の足に飛び掛かった。
 血飛沫が舞う。
「そういう愛コンタクトじゃないの!?」
 封戸は直人から視線を外し、自分の荷物を漁り始める。
 母の形見のMDプレーヤーを引っ張り出し、イヤホンを両耳に差し込む。
 電源を入れれば聞き慣れた曲が流れる。
 一度姿勢を正してから絵の続きに取り掛かかる。
「ガン無視モード!? なぁ封戸聞いてる!?」
 封戸の手だけが動く。
「ふーうーこー」
 耳元で名前を呼ばれても無視。
「おーい」
 頬をつっつかれてもまるで動じない。
「無視するなら俺にも考えがある」
 封戸の膝とスケッチブックの間の空間。人の頭一つ分のスペースが存在する。
 そこに頭から滑り込んだ。
「ははは描くのに邪魔で無視できまいィ――!」
 直人は反応を待った。
 蹴るか、殴るか。
 あるいはスケッチブックで顔を押し潰そうとするのか。
 二人はスケッチブックで隔たれているため、表情を確認できない。
 直人は来るべき打撃に備え、感覚を鋭くしていく。
 五分が経過した。
「ひょっとして無視されてる……!?」
 諦めて起き上がろうとした直人を、封戸のスケッチブックが押し止めた。
 それから二時間ほど、直人が身体を起こそうとする度にスケッチブックが妨害した。

          ●

 夕日によって茜色に染まる大橋と、水の音が重なる。
 穏やかな波の音ではない。
 天から地へと叩き付けられる、切り裂くような音だ。
 竜をその内に閉じ込めた水流。
 滝だ。
 直人はそれを片耳で聴く。
 隣に座る封戸もだ。
 一つのMDから伸びるイヤホンを、二人で聴いているのだ。
 すでに絵は描き終わっている。
 この後は徒歩でマリンピア神戸に行き、夕飯を取る予定だった。
 しかし夕飯には時間が早いため、こうして時間を潰している。
「…………」
 直人は橋の向こう、淡路島を見ていた。
 彼の地には兄だった男がいる。
 もはや一宮の姓を捨て、神子ではなく神主として生きていると風の便りに聞いた。
 それ以外のことは知らない。
 なぜ一宮を捨てたのか。
 なぜ別れ際に弟を傷つけていったのか。
 わからない事だらけだった。
 元々何を考えているのかわからないところがあった。
 何の前触れも無く秘宝を使えるようになった時も大して驚かなかった。
 この人ならできて不思議じゃない、と。幼いながらそう思ったのを覚えている。
「今思えば憧れてたのかな」
 言葉が勝手に口をついた。
 掴みどころの無い、霧のような男だった。
 ……だから秘宝を使えたのか。
 思い、同時に痛みが胸を走る。
 直人は秘宝を使えない。
 憧れていた男から告げられた言葉だ。
 翌日男は姿を消した。
 大神祭から一ヵ月後のことだ。
 実際、直人は霧と滝の極意を開眼できていない。
 だから思う。
 自分は一宮である資格が無いのかもしれない。
 封戸の隣にいてはいけないのではないか。
 考えれば考えるほど深みに嵌っていく。

          ●

 ふと、手に柔らかな感触が来た。
 見れば、封戸がこちらの手に己の手を重ねていた。
 封戸は困ったような、それでいて責めるような顔をしている。
 直人は破顔。
「ごめん。封戸の足を妄想してた」
 封戸は無言。
 表情を変えず、ただ握る手に力を込める。
「ごめん、嘘吐いた」
 急激に曇っていく視界の中で、手を握り返す。


by 神戸第二


 滝の音が聞こえる。
 他の音は、全て滝に掻き消された。