登場人物

NAME ナオスケ/近江・(おさむ)
CLASS 神戸圏副長
FAITH 一本気な男

NAME 柳田・國彦(くにひこ)
CLASS 神戸圏副長補佐
FAITH 気の利く男

NAME 一宮・彰人
CLASS 神戸圏総長
FAITH 紫の瞳の男

NAME 芦屋・(めぐみ)
CLASS 神戸圏守護役
FAITH イカした女

NAME ???
CLASS 芦屋家最年少頭首
FAITH 黒髪の少女




 震えは寒さによるものなのか、今となってはわからない。
 しかし、震えていたのは否定しがたい事実だ。
 身を包み込むような温もりが欲しいと思った。


【過去A】(1994・12・17)

 山の中腹に三十メートル四方の広場がある。
 広場は四方を枯れ木に囲われている。
 木の根元は枯れ葉で埋め尽くされ、広場から麓へ通じる道を見つけるのは容易ではない。
 そんな広場の木製ベンチに、一人の男子学生が腰掛けていた。
 戦闘用の学生服を赤色のゼッケンで覆っている。
 その隣に、空き缶の入ったビニール袋が置いてある。空き缶にはところどころ泥や埃が貼りついていた。
 広場には男子学生一人だけだ。
 人も、痛みも、しがらみも、そこには存在しない。
 ここにあるのは、寒さと、ベンチと、男子学生だ。
 男子学生は冬の夕焼け空を見上げ、乾いた風に身を震わせた。
 ゼッケンと学生服の隙間に手を挿し込み、背中を丸める。吐く息が、白く色褪せては消えていく。
 枯れ葉を擦る音が、男子学生に近づいていく。
 男子学生が、ベンチの後ろへ顔を仰け反らせた。
 その表情がやや無愛想なものへと変わる。その視線の先には、コートを羽織った男子学生がいた。
「やあ、ナオスケ。寒そうだね」
「なんの用や、國彦」
「んーと、いろいろ」
 そう言いつつ、國彦という名の男子学生は、自然な動きでベンチに腰を下ろす。
 ナオスケと呼ばれた男子学生は、顔を元の位置へ戻した。隣に座る男との言葉に耳を傾ける。
「神戸圏副長の近江・治が神戸圏総長の一宮・彰人と対立してるって噂なんだけど、どう思う?」
「神戸圏副長補佐の柳田・國彦が、わざわざそんなことを言いに来たんか?」
 柳田・國彦は、困り顔で答えた。
「放置しておくわけにもいかないだろ」
「アホか。なんで仲間内で対立する必要があんねん。考えたらわかるやろ」
「人は勝手に想像する生き物だから。素材は豊富にあるし」
「たとえば?」
「たとえば君が総長選抜戦で一宮総長に敗れて副長になったこととか、
 君が密かに想ってる相手と一宮総長が懇意だとか、
 そもそも君が事あるごとに一宮総長と競おうとするのが原因なんだよ!」
 最後の方は非難気味になっていた。
「耳元で怒鳴るなや」
「今日だって会議サボるし! おかげで俺が桐島先輩になじられるし!」
「あー、そらスマンかったなあ。でもちょっと嬉しかったりするんやろ?」
「うん、ちょっと」
「ふ、何を隠そう、今日オレがサボったんはお前に幸せな時間を味わせたろうと思うてやな」
「治」
 柳田が、字ではなく、本名で呼びかけた。
「どうして空気を乱す」
「悪いとは思うとる」
「認められないのか?」
「アイツの力は認めとる。突撃馬鹿のオレじゃ敵わん。肝も座っとる」
 そこでナオスケは一度言葉を止めた。
 無愛想だった表情が、真剣なものへと変わっている。
「でもな、アイツの目。アレがオレの心に迷いをもたせる」
「一宮総長の目? たしかあの紫眼は刀禰(とね)一族が――」
「そうやない。アイツの目が、オレを見ようとせんかったんや」
 そして、
「総長を決める戦いの直前にな」
 吐き捨てるように、言い切った。
「たぶんそれは、……ごめん」
 柳田は何事かを言いかけて、自ら打ち切った。
「なんも言うとらんのに謝らいでも。
 つまるところ、オレはアイツに自分の力を預けてええんか迷うとる。それだけや」
「わかった。もうこの話はやめにしよう」
「ま、お前がそう言うならそれでええけど」
 わずかの間、会話に空白が生まれた。
 ナオスケは無表情。
 柳田は所在無さ気だ。
 ナオスケの隣に置いてあるビニール袋に柳田が目を向けた。
「ゴミ拾いしてたのか?」
 沈黙から脱するため、柳田が尋ねた。
「いや、ゲーム」
「なんだい、それは」
「水鉄砲持った子どもから逃げ続けるゲーム」
「……ごめんよく聞こえなかった」
「まあ聞けって」
「うん」
「オレはゲームの前に決められた三つのポイントに行って、印のついた空き缶を拾う。
 全部の空き缶を集めるまでにゼッケン撃たれたらオレの負け。撃たれんかったらオレの勝ち。
 さらに子ども側は『友達』を何人でも呼んでええ。その『友達』が撃っても子ども側の勝ちや。
 もしオレが負けたら子ども一人ひとりに三百円払うことになっとる」
 いっきに喋りきったナオスケは、どこか誇らしげだ。
「マゾいルールだね」
 柳田は呆れ顔だ。
「ええ運動になるし燃えるぞ。どっから水飛んでくるかわからんから、気ぃ抜かれへん」
「でもここは安全だね。誰かが来たら枯れ葉が知らせてくれる」
「ちょっとしたセーフスペースやな。寒いけど」
 ゼッケンで手を擦る。
「で、そのゲームやるために今日はサボったと」
「しゃーないやろ。前から約束しとったんやから。もし会議行っとったら会議室に特攻してくんぞ」
「さすがに子どもでもそこまでしないだろ」
「子ども側のリーダーは三宮・滝江や」
 柳田が息を呑んだ。
「……あの時の娘か。センター街に行くたびに思い出すよ……」
「お前は確かケツに爆竹刺されたんやったな。
 あのあと子どもらの間でカエル踊りっつう奇怪なダンスが流行ってなあ」
「言うな!
 それで、ゲームに見せかけて子ども鍛える目的は?
 君が事あるごとに言ってる『東西決戦』に備えて私兵の育成とか?」
 ナオスケは一瞬固まったが、観念したように喋り始めた。
「別に鍛えるってほどでもないけどな。
 子どもは力がないぶん、組織力で補う必要がある。
 独走しても勝たれへん。
 仲間で力合わせなアカン。
 それに気付いてくれたらええなあ、と。そう考えとるだけや。他意はあらへん」
「君が言うか」
「はっはっは。ま、それはそのうちケジメはつけるって」
「頼むよ? いろいろ言われるのは俺なんだからさ。
 というか、君ってかなり子ども好きだよね。先生目指したら? 字は反面教師」
「殴ってもええか?」
「言い終わる頃には殴り終えてるよね、君」
 痛む頬を押さえつつ、柳田がぼやいた。
 ナオスケは無視し、柳田は力なくうな垂れた。
「さて、そろそろ行こかな。
 まだ一箇所残っとるから、頭下げに行くんはそれ終わってからな。
 水被りたなかったら時間空けてから下りや」
 そう言って立ち上がる。
 両腕を伸ばし、身体をほぐす。これから山を駆け下りるからだ。
「あ、そうだナオスケ」
「なんや」
 ナオスケは柔軟しつつ振り向く。
 同時に、ナオスケのゼッケンに水の弾丸が撃ち込まれた。
 胸元を起点に、冷たさがナオスケの身体を駆け巡る。
 柳田は隠し持っていた水鉄砲を掲げ、
「さっき君の居場所教えてもらった時に、狩矢・梨佳って娘と『友達』になってね」
「國彦てめぇ!」


 小さな疑問が生まれ、
 小さな動きが生じる。
 ならば、
 大きな停止は、
 何を伴うというのか。


【過去B】(1994・12・17)

 ナオスケが潜んでいた広場に、子どもたちが集まってくる。
 子どもたちに踏まれた枯れ葉が、乾いた音を生む。
 音はナオスケに敗北を知らせるだけだ。
 活発そうな少女、狩矢・梨佳が誇らしげにナオスケを見た。
「まさかオレの身内を取り込むとはな」
「『ぎぶあんどていく』だよ」
「そうなるね。さあ、早く賞金を寄越すんだ」
 梨佳の隣に立つ國彦が、手の平をナオスケに差し出した。
「てめぇも貰う気かよ!」
「ルールだからね」
「よこすんだ!」
 集まった子どもたちが唱和。
「くっ。えーと、何人おるんや」
「四十三人いるよ」
「前より十人も増えとるな。よーやった」
 言いつつ、予め崩しておいた百円玉を、広場に来た順に配る。
 最後に、左手に巨大な紙袋を抱えた男がナオスケの前にいた。
 男は三十代くらいで、彫りの深い顔と、黄金色の髪を持っている。
 一目で日本人でないことがわかる。
 その異国人は、にこやかに微笑んでいる。
「誰やおっさん」
ボナセーラ!(こんにちは!) ミ キアーモ(私の名前は) フェルナンド・カンパネッラ!」
 ――ナオスケ・聴覚/語学技能・重複発動・ヒアリング・成功。
 握手を求められた。
 握り返すナオスケ。
「はあ、そりゃどうも」
「君の名前は?」
 フェルナンドと名乗った男が、今度は日本語で尋ねた。
「喋れんのかい。
 オレはナオスケ。いずれ東西を治す男や、覚えとき。アンタもこいつと同じか?」
 國彦を顎で示す。
「そうです。娘へのプレゼントを選ぶのに付き合ってもらったお礼にね」
 フェルナンドは左手の紙袋をちらつかせる。
「彼が仕損じたときは、僕がやることになっていました。出番がなくてちょっと寂しいですよ」
「ナオスケは身内にだだ甘だからねえ」
「やかましい。しかし、アンタ日本語上手いな。この辺に住んどるんか?」
「仕事の都合でここ二年ほど神戸と大阪の間を行ったり来たりしてますよ。
 演奏会やクリスマス、それから家族の誕生日は本国に帰りますが」
「家族想いやな。ええことや。そりゃええことやな」
 ナオスケは何度も頷く。
 それを國彦は黙って見ていた。困った顔で。
「えんそうかいってなに?」
 子供たちの中から、疑問が投げかけられた。
「オペラって知ってるかい。みんなで歌って踊って、とても楽しいんだ。
 僕はその演奏会を観るのが大好きなんだ」
「へぇー!」
 それから子どもたちに次々と質問を浴びせかけられる。
 フェルナンドは、心底楽しそうに、笑顔で質問に答えていく。
「おっさ……フェルナンドさん、ありがとうな。子どもらに付き合ってもろて」
 ナオスケは子どもたちの質問が終わるまで待ってから、フェルナンドに礼を述べる。
「いえいえ、気になさらずに。イタリア人は家族を大事にします。
 そして、人類義兄弟と言うからね。兄弟と遊ぶのは当然のことさ!」
 爽やかに微笑むフェルナンド。
 白い歯が光を受けて輝いた。
 國彦が目を逸らしたので、ナオスケが言うことになった。
「おっさん、“ここ”でそういうネタやると本職さん出てくるからやめとき」
「え、なにかやっちゃいましたか? ……はっ!」
 突然、フェルナンドは地面にひれ伏した。
 額を地面に擦りつけ、
「申し訳ありませんでしたーッ!」
 叫んだ。
「なんやなんや、いきなり土下座かいな」
「日本では何か失敗したときに土下座しなければならないと聞いています」
 くぐもった声が答えた。
「誰にや」
「妻の父君からです。彼は日本人でして。日本の知識は本場モノなので間違いはありません。
 それでも許してもらえなければユビツメ・ハラキリ・フジヤマゲイシャー!」
 小刻みに震えながら叫ぶフェルナンド。
「ソレ、ほんまに日本人かいな。
 とりあえず立ちーな。 子どもが真似するやろーが!
 ほら、お前らも真似すんな! 通行の邪魔やから! ものっそい目立つから!」
「ゼッケン学生服の君が言うか」
「そこ、傍観者気取っとらんと、このおっさんどうにかすんの手伝え」
「俺はいいと思うよ。異文化交流は価値観が固まる前にしとくべきだって」
「動きとうない言い訳をそれらしい正論で包み込むなタチ悪いしかもこれは異文化やのうて異分子や」
「まあ、冗談はこの辺にしておこう」
 國彦はフェルナンドの隣に屈み、肩を叩きながら話しかける。
 目線を相手と対等の位置に持っていくことを忘れない。
「フェルナンドさん、昨今の日本における土下座という行為は、
 女性に何かをお願いするときの最終手段なんです。
 だから安易に土下座してはいけない。いいですか?」
「なんと! いつの間に日本文化は変貌を遂げたのでしょう!」
「さあ、早く立って。誰にも見つからないようにこの場から離れてください。
 このままでは土下座取締り委員会の者がやってきて、あなたを磔にしてしまう」
「この恩は忘れません。さようならみなさん! そしてまた会おう、治とその愉快な仲間たち!」
 子どもたちが手を振って奇妙な男を見送る。
 その後ろで、ナオスケが國彦を小突いた。
「おまえ、将来碌な大人にならんな」
「あながち嘘でもないけどね」
 どこか悟ったように呟く國彦。
 ナオスケはそれを無視し、子どもたちを呼び集める。
「オレはこれからガッコ行かなアカンから、今日はもう解散や。引率は任せてええな?」
 子どもたちの中で一番年長の少女、三宮・滝江に問いかける。
「うん! 任せとって」
「よし。あと直人。これ兄貴に渡しといてくれるか」
 ナオスケが、白い封筒を少年に持たせた。
「わかった!」
 溌溂とした返事を受け取り、ナオスケは笑みを浮かべた。悪戯を仕掛けた少年のような笑みを。
「頼むな。ほんなら解散!」
 滝江に連れられて、ナオスケたちに手を振りながら子どもたちが走り去っていく。
 ナオスケも國彦も、それに応じるように手を振る。
「まさか総長の弟まで手懐けてるとはね」
 子どもたちが見えなくなってから、國彦が感心した風に言った。
「弟の方は従順でかつエロくて扱いやすいねんけどな」
「あと梨佳ちゃんって狩矢先生の娘さんだよな」
「ああ。今度式神の使い方でも教えて貰えや。槍で突き殺されるかも知れんけど」
「遠慮しとく。君、やっぱり私兵育ててるだろ。なんだよあの顔ぶれは」
「偶然や偶然」
「四十回起こる偶然は、もはや必然だ」
「そうかい。……そういやよ、俺あのおっさんに本名教えたっけか」
 どうでもいいことを、どうでもよさそうに問うた。
 國彦も、興味なさそうに、
「教えてないね。さっき話してるときに肩触ったけど、かなり鍛えてたよ」
「何者やろな」
「神戸屋の広報部門長らしいよ」
 『いつの間にかその手に持っていた』名刺を見つめながら、國彦。
「いつ貰ったんや」
「さっき土下座したときに『落とした』みたいだよ。あとで俺が菓子折り持って返しに行こう」
「それは偶然か? それとも必然か?」
「突然何を言い出すんだ君は」
 ナオスケは呆れ顔で國彦を見た。
「いつか酷い目見るぞスリ彦」
「酷い言い草だなあ。ま、なにかあったら報告するよ」


 剛なる意志は砕けない。
 柔なる意志は破れない。


【過去C】(1994・12・17)

 四方を枯れ木に囲われた広場の中央に、ナオスケが立っている。
 右手に剣型の神具を携え、夜空を眺めている。
 学生服の上には何も纏っていない。しかし、昼のように震えてはいない。
 凍えを凌ぐ熱量を、心の奥に宿しているからだ。
 吐く息は昼よりも白く。
 存在感は昼よりも強い。
 ナオスケは夜空に一際大きく輝く、月を望む。
 そして、己のものではない詞を詠う。

     この世をば
     わが世とぞ思う
      望月の
      欠けたることの
      なしと思えば

「ちゅーのは、どこぞのおっさんの詞やったっけな。ま、いまんとこ満月にはちょっと欠けとるな」
 ナオスケの視線は、もはや月を望まない。
 己が戦いを望む相手を、射抜く。
 枯れ葉は一度も音を立てていない。
 しかし、その男は広場の中に存在していた。
 気配を殺す、というよりも、気配が存在しない男。
 それが神戸圏総長、一宮・彰人である。
 彰人は無言。
 腰から提げた剣に、触れようともしない。
 戦意を示さない男に、ナオスケは尚も語りかける。
「アレ、どないかしよーや」
 夜空を指差す。
「この決闘に意味があるというのか」
 感情の籠もらない、事実の確認。
「また逃げんのか。ここまで来といて」
 足元を指差す。
「私は力の使い道を誤りたくないだけだ」
 感情の籠もらない、事実の確認。
「それが逃げやっちゅーに。わからん男やな」
 彰人を指差す。
「たとえ何かしたところで、何も変わりはしない」
 感情の籠もらない、事実の確認。
「決闘とか誤るとか変わりとか、そんなんどうでもええ。
 血統とか謝るとか代わりとか、そんなんでもあらへん。
 伝わるか? 伝わらんやろーなぁ言葉じゃなあ」
 ナオスケの右腕が動いた。
 動きは身体全身へ伝播。
 瞬く間に彰人の間合いに突入する。
「直接身体に刻んどけ」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・袈裟斬り・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
「攻撃からも逃げるか」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・逆袈裟斬り・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
「別に悪いとは言わん」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・薙ぎ払い・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
「ただアンタの避けに」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・一閃・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
「信念を感じんなァ!」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・突き・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「アンタはいっつもや」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・袈裟斬り・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「他人を想い一歩引く」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・逆袈裟斬り・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「オレの過去がなんや」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・薙ぎ払い・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「オレの野望がなんや」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・一閃・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「そんなもん潰せや!」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・突き・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗。
    ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「遠慮は侮蔑と同義や」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・袈裟斬り・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗。
    ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「全身全霊をかけてよ」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・逆袈裟斬り・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗。
    ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「徹底的に負けたなら」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・薙ぎ払い・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗。
    ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「オレに不満はねえな」
 ――ナオスケ・体術/剣術技能・重複発動・一閃・成功。
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・成功。
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗。
    ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・成功。
「さあ答えろ彰人ォ!」
 ――ナオスケ・脚術/体術/脚術/剣術技能・重複発動・突き・成功!
  ――彰人・体術/脚術/回避技能・重複発動・受け流し・失敗!
   ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗!
    ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗!
     ――彰人・心理技能・発動・感情抑制・失敗!
「――――お」
 ――彰人・腕術/剣術技能・重複発動・抜刀・成功!
「おおおおおおおお!」
 ――彰人・腕術/投術技能・重複発動・投擲・成功!
 剣を空高く投げ捨てた。
 それは剣による防御という選択を捨てたということだ。
 ナオスケの突きを、生身で、全身で受け止めるという選択を行う。
 一つに絞り込まれた選択は、余分な思考を削る。
 もはや、
 『血統』も、
 『謝る』も、
 『代わり』も、
 存在しない。
 ――彰人・心理技能・発動・感情抑制放棄・成功!
  ――彰人・心理技能・発動・痛覚無視・成功!
 二人の叫びが交じり合いながら、破壊を生む。
 ――ナオスケ・体術/脚術技能・重複発動・大加速・成功!
 ナオスケが彰人を貫いたまま、前へ進む。
 広場の端へ。
 そして、それ以上進まない。
 枯れ木に彰人が縫い留められ、動きが止まる。
 ――ナオスケ・体術/脚術/腕術技能・重複発動・再加速・成功!
 磔にした彰人を、枯れ木ごと突き倒すため、全体重を乗せる。
「これで詰みやァ!」
 しかし彰人の意志は停まらない。
 面と向き合って、咆哮し続ける。
 赤い命の霧を吐き散らしながら。
 不意に、ナオスケの背に黒い影が生まれる。
 ナオスケの研ぎ澄まされた全神経が、その存在を知らせた。
 自分の頭上に『投げ捨てられたもの』を。
「いいやチェックだッ!」
 彰人の宣言と同時、ナオスケの背に冷たい感触が走り抜けた。
 感触は痛みへと変わり、赤の飛沫が足元を染めた。
 ――ナオスケ・心理技能・発動・痛覚無視・成功!
 ナオスケの意識が急激に失われていく。
 だが、戦いを放棄しない。
 それは彰人も同じだ。
 もはや躊躇も容赦も慈悲もなく。
 純粋な意志と意志がそこにある。
 ――ナオスケ/彰人・心理技能・発動・感情疾走・成功!
「前に!」
「進む!」
 二人は同時に意識を喪失した。


 最後の対話。
 想いは前へ進む力に昇華した。
 願いは独り心の中で消化した。


【過去D】(1995・1・9)

 山の中腹に三十メートル四方の広場がある。
 広場は四方を枯れ木に囲われている。
 数ある枯れ木の中の一つに、刃を突き刺した跡がある。
 他に、何の特徴もない広場だ。
 そんな広場の木製ベンチに、一人の男子学生が腰掛けていた。
 ナオスケだ。
 その前に、一人の女子学生が立っている。
 二人は月明かりに照らされ、確かに存在している。
 女子学生は、傷の残る枯れ木を見つめ、疑問を口にする。
「男ってのは殴りあわないとわかりあえないの?」
「なんのために頑丈な身体してると思っとんや」
 ナオスケが、女子学生を見ながら答えた。
 女子学生はナオスケへと視線を移す。
 長い黒髪が、風を孕んで揺れた。
「そりゃ可愛い女の子の盾になるためだね」
「可愛い……女の、子?」
 女子学生の眉根が、わずかに顰められる。
 その変化は、
「スイマセン」
 ナオスケの土下座という結果を生んだ。
「この街で君に土下座させられるのは私くらいかな」
 女子学生が誇るように呟く。
「三日三晩不眠不休で命狙われたら逆らう気起きんわ」
 ナオスケは懐かしむように呟く。
 すでに土下座を終え、何事もなかったかのようにベンチに腰掛けている。
 しかし、その表情はやや硬く、女子学生を見ようとしない。
「感謝してよね。荒れに荒れてた君を御山に推薦してやったのはこの私なんだから」
「勝手に字まで用意しくさって。まったく至れり尽くせりや。あれも守護役の仕事か?」
「うん。近隣住民から苦情が来てね。夜中に野犬が吼えまわっているから躾してやってくれと」
「そんでもって血統書つきのワン公と闘わせるか。どんなブリーダーや」
「あれで可愛いところあるんだぞぅ血統書つきのワン公」
 女子学生は、猫撫で声で答える。
 頬は緩みきっている。
「惚気んな腹立つ」
 ナオスケはその顔を見ようとしない。
「妬いてるの?」
「ざけんな噛むぞ」
 犬歯を剥き出しにして女子学生を睨む。
「ん?」
「ごめんなさい」
 再度土下座。
「で、なんの用や」
「お礼を言いに」
 ナオスケは顔を逸らす。
「血統に縛られていて、
 何かに謝りたがっていて、
 誰かと代わりたがっていて、
 前に進むことができなくなっていた馬鹿が、
 ――前に進む気になったんだ」
「そいつは、……そいつは」
 ナオスケは何かを言いかけてやめた。
 女子学生もそれ以上何も言わない。
 数秒か、
 数時間が経ち、
 女子学生は再び言葉を放つ。
「腹の傷までお揃いね」
 少し羨むように。
「中身は全然ちゃうけどな」
 ぶっきらぼうに答えるナオスケ。
「そうかしら? 彼の野望を知ってる?」
「そういうのとは無縁そうな奴やけど」
 ナオスケが自分と顔を合わせるのを待ってから、女子学生は続けた。
「世界平和」
「クサっ」
 ナオスケは思わず吹き出した。
「君の東西決戦と似ているね」
「どこがや。平和と決戦は真逆やろ」
「その二つは目的と手段で引き合うわ」
 一方は争いを望まぬもので、もう一方は争いそのものだ。
 しかし、争いのあとに争いが絶えるのであれば、それは。
「つまり行く道は同じ、と。そう言いたいんか」
 女子学生は答えず、夜空を見上げる。
 数多の星が、霜のように浮き出ている。
「彼と君と私の過去は、いつもあの日が起点なのよ」
 ナオスケたちにとって『あの日』とは、常に一つの過去を示す。
「……近畿動乱」
 それは苦い過去だ。
「私たちは過去において喪失と野望を得た。
 そんな連中が一つの方向へ進んだら、どうなるんだろうね?」
「考えるまでもあらへん」
 ナオスケは立ち上がる。
 両足に力を込めて。
 力強く、立つ。
 そして、詠う。

    滅びを掻き消す叫び
    決断は団結となりて
    破の血桜が咲き誇る

 紡がれる詞は、一片の淀みも存在しない。
 あとは、ただひたすら前に進むだけだ。
「桜が咲く頃にゃ、もっとサマになっとるかな」
「楽しみだね。うん、楽しみだ」
 女子学生は強く、何度も頷く。
 心底嬉しそうに。
「用はそれだけか? なんかあるやろ」
「うん。察しの通りもう一件。
 十六日から十八日にかけて姫路の方へ出張することになった。
 ワン公連れてね」
「守護役が総長連れて姫さんと談合か」
 言いつつ、ナオスケは笑みを浮かべる。
 面白くなってきた、と。
「『戦い』に備えて色々取り決めておかないとね。西の防御の要としては。
 まあ、私の方は元々姫路よりの家だし、難なく進むんじゃないかな」
「ややこしいことは先輩に任せるわ。俺は剣振り回しときゃええんやろ」
「違うよ。君には『特殊任務』があるじゃない」
「は?」
 聞きなれない響きに、疑問を浮かべる。
「妹から話は聞いた。子どもたちの面倒を見ているんだって?」
「ああ、そのことかいな」
 ナオスケは合点がいって、拍子抜けした。
 大したことではない。そんなナオスケの思考を否定するように、女子学生は言い切った。
「それはとても大事なことだよ。君にしかできないこと」
「ほぉ」
 表面上、無愛想に答えたナオスケだが、内心では動揺を抑えるのに必死だった。
 それを気取られまいと、女子学生から視線を逸らす。
 夜空へと。
「その『特殊任務』を遂行中だからナオスケは会議に出席しなくてもいい、って彼が言ったそうよ」
「へえ、思ったより気ぃ回るやんけ」
 ナオスケは、彼、という言葉を聞き、落胆する自分に気付く。
 気付くが、それを肯定しない。
「というわけで、これからも私の妹をよろしく」
 その帰結に、喜びと、憂いを得る。
 二律背反の想いを抱え、それでも前に進む。
「はいよ」
 空には、半分の月が在る。
 これから満ちていく月が。


 覚えているのは赤の彩り。
 覚えているのは朱の煌き。
 覚えているのは紅の滴り。
 覚えているのは――。


【過去E】(1995・1・17)

 薄暗い神戸の街を、駆け抜ける男がいる。
 剣型の神具で遺伝詞(ライブ)を操り、『瓦礫の街』に道を作っている。
 粉々に潰れた家屋に、
 むせ返るようなガスの臭いに、
 思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
 この非日常においては、大人も子どもも関係ない。
 ありとあらゆる人間が、道を治している。
 ナオスケは、周囲の人々に呼びかける。
「人命救助が最優先や! 無理に妖物倒そうとすんな!」
 風水によって補修された道に、赤い熊が飛び込んできた。
 遺伝詞(ライブ)の乱れによって生まれた獣だ。
 ナオスケは道の修理を放棄。
 赤い熊へと突っ込んでいく。
 雄叫びを上げ、敵の注意を惹きつける。
 それが彼の役目だ。
 四メートル超の巨獣が、敵意を露わにする。
 ――オレの字にかけて、治しきってみせらァ!
 心の中で覚悟を反芻。
 神具を握る力を強める。
 神戸は今、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌していた。
 都市機能の麻痺。
 妖物の大量発生。
 そしてナオスケたちにとって最大の痛手は、守護役と総長の不在。
 現在、神戸圏総長連合の総指揮はナオスケが代行していた。
 ナオスケは学生へ指揮を出しつつ、道を治している。
 人々が避難するために通る道だ。
 大人と協力して、それを作る。
 戦闘に特化した者が、道を塞ぐ妖物を倒していく。
 しかし作業は遅々として進まない。
 圧倒的に、そして絶望的に、被害規模が大きかった。
 治す端から、壊されていく。
 賽の河原だと、ナオスケは思った。
 ナオスケはそれでも治し続ける。
 己の字が、矜持が、過去が、野望が、諦めることを拒否していた。
 巨獣を治したナオスケは、首から提げた無線機の声に耳を傾ける。
『鈴木・総馬(そうま)だ。中央の消火活動が終了した。中騎二小隊をそちらに回そう』
「恩に着るわ! あと長田の方頼めるか!?」
『任せたまえ。ただ倒壊したビル群に機動力を奪われている。五行師を何人か送ってもらえるか』
 ナオスケはすぐさま指示を飛ばす。
 そうしているうちに、再び獣が現れた。
 入れ替わり無線機から声が聞こえる。
『こちら川崎・久葉(くよう)。隣圏から援護部隊が向かっているわ。合流まで二十五分といったところね。
 あと装甲車を三台借りたわ。避難が遅れてる場所を教えて』
「長田に……、一台姫路側に回せるか?」
『ええ、そっちは私が直接行くわ。それじゃあ、引き続き司令代行よろしくね』
 叫び声を上げつつ、獣に斬りかかる。
 獣と斬り結びながら、無線機を操作。
『来田・照実です。避難地域に妖物が侵攻して来ました。
 今のところ私たちで捌けてるけど、三十分で押し切られそう。何人か回して!』
「おう、すぐ行かせる! それまで耐えてくれ!」
『うん。……うん!』
 背後から獣に奇襲される。
 赤い何かが自分から漏れ出るが、気にかける暇がない。
 掠れた声で、指示を送る。
 また、通信が入る。
『桐島・キリエ! 家屋が妖物化し始めた! そちらも気をつけろ!』
「気をつけろったって!」
『それでもやるしかあるまい!』
 ナオスケは取り付いた獣を振り払う。
 足がもつれ、視界が揺れる。
 その時、無線機から無機的な言葉が、
 非現実的な現実をさらに非現実化する言葉が響く。
 “現場の状況を伝える”ため、
 “仲間の混乱を避ける”ため、
 “自身の覚悟を決める”ため、
 敢えて感情を押し殺した、起伏のない言葉だ。

『……柳田・國彦、龍だ、龍が生まれたぞ』

「くそァァァッ!」
 雄叫びと共に神具を構える。
 獣が、さらに増えた。
 空は炎の変じた怪鳥が飛び交い、
 大地は無数の獣に埋め尽くされ、
 ついには、龍が――。
 時間だけが、無情に過ぎていく。
 嘲笑うように。
 次第に、無線機から聞こえる声が少なくなっていく。
 一人、二人と。
 その度、ナオスケの頬に熱いものが流れる。
 無線機から感じ取れる存在が、時を経るごとに遠ざかっていく。
 恐怖を打ち消すために、幾度も無線機に呼びかける。
 しかし、その行為が相手の不在を確信させる。
 熱いものが流れる。
 流れていく。
 大地が啼いている。
 人を支える大地が嗚咽を。
 人が泣いている。
 大地を愛する人が嗚咽を。
『鈴木・総馬。これより鳳と交戦する。あとのことは頼んだぞ、ナオスケ』
 それでも道を治す。
『どもども、川崎・久葉だよ。今、総長と守護役の二人が姫路から帰ってきたから、もう、大丈夫……』
 それでも道を治す。
『来田・照実、です。みんな逃がしたから、安心して。それで、ちょっと疲れたから、休憩、します』
 それでも道を治す。
『桐島・キリエ。忙しいところ悪いが、國彦に伝言頼めるか。来週のデートは中止だと』
 それでも道を治す。
『國彦だ。もう龍の足止めはできない。役に立てなくて悪い』
 いつしか、道を治す必要はなくなっていた。
 道はナオスケの周囲にしかなかった。
 道はどこにも通じない。
 絶望が、ナオスケを押し潰す。
 その直前、ナオスケの前に、三つの存在が現れた。
 一つは、この都市にある恐れと憤り、それからありとあらゆる感情を飲み込んで膨れ上がった、獣。
 遺伝子の乱れが乱れを生み、その乱れがさらなる乱れを生む。
 その果てに生まれた、存在。
 龍。
 そして、龍とナオスケの間に立つ、二人の学生。
 とても小さな二つ存在は、ナオスケにとって、世界で最も大きな存在だった。
 ナオスケは二人の元へ走り寄る。
 力を合わせて、龍を倒すために。
 しかしそれは叶わない。
 束の間の安息は、いとも容易く破壊される。
 何かが、ナオスケの脇を通り過ぎた。
 莫大な質量と重量と熱量を持った何かが、音すら追いつけない速度で。
 二人の学生の間を、引き裂くように突き進んできた。
 ナオスケの右腕を、神具ごと喰い千切るために。
「う、あ」
 一瞬で、右腕の感覚が失われる。
 代わりに、耐え難い激痛を得る。
「があああああああ!!」
 龍はナオスケが治した道を砕きながら旋廻し、再び三人の獲物に突撃する機会を窺う。
「倒れてたまるか」
 ――ナオスケ・心理技能・発動・痛覚無視・失敗!
 痛みはナオスケの精神を蝕む。
「前に進むんだ」
 ――ナオスケ・脚術技能・発動・姿勢維持・失敗!
 足から力が抜けていく。
「オレたちは」
 ――ナオスケ・体術技能・発動・姿勢維持・失敗!
 身体が前に傾く。
「進むんだ」
 ――ナオスケ・腕術技能・発動・姿勢維持・失敗!
 倒れ伏す。
「絶対に」
 ――ナオスケ・脚術/体術/腕術技能・発動・起き上がり・失敗!
 立てず。
「前に」
 動けないナオスケは、視線だけ二人に送る。
 瞬き一つの間に、有無を言わせない暴力が走り抜けた。
「嘘だろ、オイ」
 視線の先、彰人に女子学生が抱き抱えられている。
 赤、朱、紅。
 怖れ/拒み/暴れ/憎み/呪い/怒り/狂い/喚き/叫び/崩れ/落ち――。
 思考とも呼べない思考、純粋なイメージそのものがナオスケの脳裏を埋める。
 身体の芯が、急速に冷え込んでいく感覚を得る。
 彰人が空に向かって何かを叫んだ。
 薄れゆくナオスケの意識は、その言葉を聞き取ることができない。
「このナオスケ様が治して、――」
 右腕を持ち上げようとして、その先が存在しないことに気付く。
「なんでねぇんだよォ」
 ナオスケの視界が狭まっていく。
「こんなときに」
 二人の学生の姿が、霞んでいく。
「またなのか」
 その映像が、ナオスケの過去と重なる。
「また救えない」
 遠い過去に。
「大切なものを、護れない」
 何もかもが失われていく中、ナオスケの心に芽生えるものがあった。
「こんな世界、もう――――」
 怒り。


 早く早くと心が急かす。
 けれど勢いは得られない。
 得られないのは勢いだけか?


【過去F】(1995・1・22)

 永遠には程遠く、一瞬には短すぎる時間を、暗闇と共に生きていた。
 死んでいるのと変わらない状態だったが、本当に死んでいるのとは大きな差があった。
 そんな眠りから、ナオスケは覚醒した。
 夢想から現実へ、引き戻された。
 思考に靄がかかった状態で、首だけを動かして辺りを見回す。
 自分が今ベッドに横たわっていて、
 傍に、一人の男が座っていることを理解する。
「死に損ないが」
「目覚めて第一声がそれかい」
 左腕と左足にギプスをはめ、
 身体の至るところを包帯で巻いた柳田・國彦が、
 そこにいた。
 それだけで、ナオスケは救われたような気がした。
 気がしただけで、実際は救われていなかったが。
「水、飲んどけ」
 國彦が、ナオスケの枕元に置いてあるペットボトルを顎で示した。
 ナオスケはゆっくりと身を起こす。
 右手で取ろうとして、右肘から先がなくなっていることに気付く。
 気を取り直し、左手でペットボトルを掴む。
 身体中が軋んだ。
「……キャップ」
 片手で開けられなかった。
「こっち向けて」
 ナオスケはキャップを國彦に向ける。
 國彦は怪我をしていない方の手で、キャップを回す。
 キャップが外され、ナオスケはペットボトルに食らいつく。
 渇きのままに、貪る。
 半分ほど飲んだところで、國彦に振り向く。
「お前も飲むか?」
「ああ」
 ナオスケから受け取った水を、國彦は一口だけ飲んだ。
「ありがとう」
「おう」
 國彦がペットボトルを向ける。
 ナオスケがキャップをはめ、回す。今度は逆回転だ。
 キャップが締まる。
 國彦はペットボトルを枕元に転がした。
「不便や」
「義腕が届くまでの辛抱だ」
「おう。で、ここはどこや」
「学校の第三準備室。一応個室だよ。病院はどこもかしこも一杯でね」
 ナオスケがベッドだと思っていたものは、積み重ねられたマットだった。
 さらに、マットとナオスケの上にカーテンが被さっている。
 身体に巻かれた包帯だけが、本物だった。
「さよけ。あれからどうなった」
「終わったよ」
 憔悴しきった表情で、國彦が答えた。
「あいつは、彰人はどうなった」
「君と同じく即席の病室。弟さんと同じ教室だよ」
「直人か。二人の――」
 突如、校内を騒音が駆け抜けた。
 硝子の割れる耳障りな音が、小さな男の子の悲鳴に混じり合い、二人の元に届いた。
 ナオスケは國彦に掴みかかり、
「あいつの教室どこや!」
「に、二のA」
 鬼気迫るナオスケに圧倒され、國彦が答えた。
「見てくる!」
「ちょっとナオスケ!」
 松葉杖を突きながら追いかける國彦を無視して、ナオスケは走る。
 身体中に激痛が走るが、走れないほどではなかった。
「――彰人ォ!」
 教室の扉を蹴破り、中に踏み入る。
 教室には簡易ベッドが二つ並べてあり、
 ベッドの陰に、顔を抑えてうずくまる少年がいた。
 そして、
「ナオスケか」
 右手を赤く染めた彰人が、幽鬼の如く立っている。
 その視線は定まらず、ナオスケを見ていながらナオスケを見ていない。
「その字で呼ぶなッ!」
 吐き捨てるように叫ぶ。
「もうオレは風水を捨てた!」
 捨てざるを得なかった。
「そうか、君はもう捨てたのか。じゃあ、俺も早く捨てないと」
 目の焦点が定まらないまま、直人に歩み寄る彰人。
「やめろ馬鹿が! 自分の弟に何しよんや!」
 ナオスケが、彰人に体当たりして、直人から遠ざける。
「僕も捨てるんだ私を構成し我を縛る過去現在未来をおおお!」
 錯乱状態の彰人が、尚も直人に迫ろうとする。
「黙れこの馬鹿!」
 彰人の首元を、ナオスケの左手が掴んだ。
「決して消してケシテ自由になるんだ苦悩を捨て苦痛を棄てる」
 ナオスケは彰人を強引に立たせる。
「今のアンタなんぞ左で充分や!」
 一瞬左手を離し、殴りかかる。
「拒み、否み、否定する」
 彰人の紫の瞳が、青い光を帯びた。
 ――霧滝。
 彰人は小さな呟きと共に、己の右手をかざす。
 ナオスケの拳に向かって。
 拳が着弾した。
「な、に」
 殴ったという感触がなかった。
 拳に込められた速度が、破壊力が、無視された。
 彰人の右手を押し切ることができない。
 完全に停止していた。
「何も届かない意地意気意志意味意義全てが! 俺僕私我に!」
 まるで霧になってしまったかのように。
「みんな届かない!
 桐島も! 鈴木も! 来田も! 川崎も!
 芦屋・恵も!」
「治!」
 ナオスケの背後、教室の入り口に國彦が立っていた。
 ――國彦・投術技能・発動・投擲・成功。
 一本のナイフが、ナオスケ越しに彰人へと放たれた。
「邪魔者闖入者かッ! だが用は達して済ませて完了したッ!」
 ――彰人・体術/脚術技能・重複発動・バックジャンプ・成功。
 彰人は飛び退いた。そのまま窓枠を越え、教室から姿を消す。
「大丈夫か直人!」
 ナオスケがうずくまる少年に駆け寄る。
 國彦は人を呼びに教室から飛び出した。
「人って脆いなぁ、直人」
 少年の両足が、途中からなくなっていることに気付く。
 少年が傷に触れないよう両腕ごと抱き抱えつつ、呟く。
「すぐ、わやになる……」


 戦士の惨死が無情に消え。
 戦死の残滓が無常に帰依。


【過去G】(1996・12・25)

 一人の男子学生が、歩きながら新聞を読んでいる。
 ナオスケだ。
 胡乱な、どこか気の抜けた表情で、記事に目を通す。
 同じ記事を、幾度も、幾度も。
 唐突に、ナオスケは歩みを止めた。
 新聞を畳み、丸め、ポケットに挿し込む。
 ナオスケの前に、一人の少女がいた。
「ようこそおいで下さいました」
 言って、丁寧に頭を下げる。
 誰かを真似て伸ばした黒髪が、肩に沿って流れ落ちる。
「畏まらんでええ」
 少女の髪をかき回す。
「や、やめ」
 先程より硬さの抜けた、拒否であって拒否でない悲鳴が上がる。
 乱暴な動きが、次第に、穏やかな動きに変わる。
 少女は暫くの間されるがままにしていたが、やがてナオスケの手を振り払った。
「こっちです」
 ナオスケに背を向け、敷地の中を案内する。
 少し肩肘の張った少女を後ろから眺めつつ、ナオスケは続いた。
 広大で、人気のない敷地を、二人は進む。
 まだ玄関も見えない。
 そもそも、玄関に行くつもりはなかった。
「後見人、ほんまにオレで良かったんか。もっとまともな人間、よーさんおるで」
 少女の両親は、神祭で命を落とし。
 少女の親戚に当たる狩矢親娘は、神祭で行方知れずに。
 そして、少女の――。
「いたとしても、私は知りませんし、それに――」
 少女がナオスケの顔を見上げる。
 ぎこちなく、微笑む。
「それに、姉さんのお墨付きですから」
 ナオスケは無言。
 少女は再び目的の場所へと進む。
 さらに歩いて、
「ここです」
 敷地の北東に建てられた蔵の前で立ち止まる。
 錆付いた閂を取り外そうと、少女が手を乗せる。
 ナオスケは何も言わず、少女の後ろから閂を掴む。
 やがて蔵の戸が開け放たれた。
 日の光が、暗く湿った蔵の中を照らし出す。
 少女とナオスケは、長年封じられていた蔵の中へ、足を踏み入れた。
 一本の剣が蔵の奥で待ち構えていた。
 禍々しい遺伝詞(ライブ)を纏った剣が。
「こいつが、祟神」
「あなたの、新しい剣です」
 ナオスケは少女を追い越し、剣を掴んだ。
 触れた途端、右の義腕が黒い煙を吐き出した。
「あっ、いけません! 専用の義腕を使わないと――」
「構わへん。どうせ替えるんやから」
 ナオスケは剣を蔵の外へ引っ張り出した。
 剣は日の光を嫌うように、悶えた。
 ナオスケは力でそれを支配する。
「ちょっと使わせてもらうで」
 少女は蔵の中から、ナオスケの方を窺っている。
 それを許可と受け取ったナオスケは、剣を構えた。
 左手で、ポケットに挿した新聞紙を引っ張り出す。
 第一紙面に書かれた文字に目を遣る。
「和解動乱、か」
 言い終わるや否や、新聞紙を放り上げた。

    絶望の淵で垣間見た光
    意志を繋ぐためならば
    祟りよ我が身を食らえ

 新たな詞を詠い、剣を振るう。
 祟神が、震えた。
 刹那、『本来の刀身』を包み込む刀身が左右に広がる。
 大剣へと変貌した祟神は、ナオスケの遺伝詞を強欲に貪り食う。
 祟神に封じられた金神が、ナオスケの感情に同調し憤怒する。
 怨、と金神は咆哮。
 新聞紙は黒い炎に喰われた。
「夢の終わり」
 誰に言うでもなく呟き、剣を離す。
 右の義腕が、力なく垂れ下がった。
 『燃え滓』が、ナオスケの頬を掠めていく。
 今にも消えてしまいそうな熱さを、ナオスケは心に刻み込む。
 心配そうにこちらに視線を寄越す少女に、ナオスケは宣言する。
「今日からオレは、ただの近江・治や。
 ナオスケなんて字、夢と一緒に斬り伏せてもーた」
 少女は、ナオスケから目を逸らさず、力強く頷いた。
「じゃあ」
 少女がナオスケの元に駆け寄る。
 ナオスケの義腕を掴み、その顔を見上げ、宣言する。
「じゃあ、今日から私は、……芦屋・奏恵(かなえ)です」
 その宣言に、ナオスケは息を呑む。
 その選択は、姉と共に生き続けるということだ。
 それがどれ程辛く、苦しく、痛ましい選択なのかを、ナオスケは考える。
「そいつは、……そいつは」
 ナオスケは何かを言いかけてやめた。
 少女もそれ以上何も言わない。
 数秒か、
 数時間が経ち、
 少女は再び言葉を放つ。
「これから、よろしくお願いします。近江・治さん」
「治でええ。こんなんでも一応、家族やからな」
 誰かの言葉が心の中に響く。
 ――可愛い女の子の盾になるため。
 護らなければ、とナオスケは、――治は思った。
 この少女を、如何なる害悪からも。
 未来に希望を抱けるように。


 少年は地に伏し、
 少女は天に乞う。
 生まれる離別は、互いが望んだ結果か。
 二人の『標』足り得るは、絶望を知る二人の男。
 双つの道は、
 一つの答えに辿り着く。








This story continues to 2006.